【連載:クマでも読めるブックレビュー】「GAMING THE MULTIVERSE 拡張するゲームと世界 – WIRED VOL.46 」~やはり高級紙… | ページ 4 | ゲヲログ2.0

【連載:クマでも読めるブックレビュー】「GAMING THE MULTIVERSE 拡張するゲームと世界 – WIRED VOL.46 」~やはり高級紙…



p65 ヴィデオゲームの物語論

批評家としての意味合いが強くて、ロラン・バルトととかの物語論を引き合いに出しながら、ゲームの多様性をストーリーという側面から光当てている。また、その構造にこだわって光当てている。例えば、マリオ。マリオは単なる配管工ではない。その背後にはお姫様を救うヒーローという物語=ストーリーがあり、限定的な枠の中におさまりながらも、それのみでは済まないある種の哲学的なレトリックがあることが示唆されている。そういった中で、ゼルダlikeに地域とか文字・文化を超えて、実装されるゲームにはむしろかつてバルトが論じたような多分化性があることも示唆されている。その後、主要な物語の展開例として「エルデンリング」「RimWorld」「Return of the Obra Dinn」「UNDERTALE」の四作が挙げられているね☆末尾のゲームの没入感の齎す暴力性という文章は(短文で大きいスケールの問題を解こうとするがため)ちょっとお粗末ではある…が、まぁ賛否の分かれる議題、両者にバランスを取ったという点では良い意見であるとも思う。

p71 「一緒に遊ぶ」の現代史

ゲームは実は古典である。ハードから数えれば…。例えば、トルコ人形をあしらったゲーム機械が1700年代からあったりと事例に枚挙のいとまがない。人間は元来ホモ・ルーデンスなんである。その後のコンピューターの登場によって、ゲームは実際のビデオゲーム・デジタルゲームになる。後、ベトナム戦争で夢だった時代は虚構の時代、物語のない時代になっていって、ゲームはそれを補完するように空想内に夢を投影していく。そうして虚構の時代に夢も併せ持っていくデジタルなゲームは大衆に低廉な価格帯で提供されるようになり、その後、虚構の行く末を案じるようにリアリティ機器に派生していく。「ポケモン」ブームですらその通過点に過ぎんのだ!