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ギルティギアシリーズのメイグッズが届いたので、いまさら「動物化するポストモダン」(データベース消費)を批判する | ゲヲログ2.0

ギルティギアシリーズのメイグッズが届いたので、いまさら「動物化するポストモダン」(データベース消費)を批判する

ようやっと届きました…大川ぶくぶ先生デザインのメイクッションです.

たしかに面白い論だ。例えば、このグッズについていえば、データベース消費でカバーリングできない範疇に商品があるのは簡単に誰でもわかる。具体的に言えば、GGシリーズのメイをデザインしたのは、間違いなく”大川ぶくぶ”という漫画家ではない。GGの企画・制作スタッフであって、大川先生ではない。つまり鏡の言うように『1人のキャラクターを題材とした複数の異なる同人誌が二次創作される事実が説明できない』(Wikipediaより)ことが把握できる事例である。作者と”二次創作者”との説明がデータベース消費ではできていない。

これは、データベース消費が構造の説明…作者と消費者という消費構造にかなり寄り添っていて、その全体的な把握ができていないことに問題があるように思う。例えば、これはライセンスの問題ともつながり、その法的な根拠の問題にもつながる。大川はライセンスを得て許可…というよりかはオフィシャルな依頼を受けて、この商品をデザインしたものであって、さらにそこから消費活動の対価を得ている。このあたりの説明がデータベース消費ではつかない。許可と認可・依頼の類、あるいは暗黙の了解のうちに為される二次創作物という多層的な生産活動に関しては本書でまったくといっていいほどふられていない。より広範な全体的構造につながっておらず論が収束してしまっている。つまり、稲葉のいうように『データベースの生成プロセスや具体的な構造についての考察が無い』(同じくWikipediaより)ということが、この論理的不備の原因である。

要するに、二次創作というものは、当然、本来の作者の制作物のアレンジ的作者・つまり二次創作者があってこそ為されるものであって、しかもその二次創作は多層的でデータベース消費単体の理論よりももっとくっきりと見栄える形で、かつ、同時にあいまいな領域にも及ぶ法的活動でもある。この点、東は説明ができていないし、それはTINAMIの事例でも同じである。検索エンジンの法的根拠にまで踏み込まなければこの論は立脚できないほど、論じられつくすべき課題だ。また、キャラクターに充てられる”声”まで踏み込むとさらに事態は複雑になる。抽象系が実体系にあてがわれるということが為されると、仮想的な人格が生成されていることになる。だが、”声”を充てている声優は実体の人格でありながら、抽象的な財産を”データベース的に”構築している。そこを消費者が消費しているという論まで、データベース消費はきっちりとあてがわれているだろうか?

いずれにせよ近年に至るまで、それぐらいデータベース消費の提起した問題は大きい、という事実は認めざるをえない。本稿では、いまさら、データベース消費の不備を精神科医・評論家の斎藤の論本を引じて論じてみようと思う。