【黄昏ゲームレビュー】Steamで蘇るノベルゲーム(テキストADV)というゲームジャンル | ゲヲログ2.0

【黄昏ゲームレビュー】Steamで蘇るノベルゲーム(テキストADV)というゲームジャンル



ハナシの始まり

今、ノベルゲーム(テキストADV)が熱い。

近年のADVタイトルでは屈指の名作として知られるに至った「Tell Me Why」に加え、現在EA販売中でADVを基礎としながらもジャンルの壁を超えるであろう「World of Horror」など、ADV寄りのタイトルで強いIPが続々と出てきた。ACT要素は少なめで、”読ませる”傑作RPG「OMORI」も日本語配信が始まったと思いきや、Metascoreにおいて91という驚異のスコアをたたき出したシリーズ最新作「OPUS 星歌の響き」もあり、さらには、サイバーパンク寄りの「Read Only Memories: NEURODIVER」やカクテルミーティングゲーム「VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action」および、それに似たようなニュアンスの漂う「Coffee Talk」に至るまで、独創的な作品がテキストADV系の領域でゴロゴロ転がっているのは、コアなSteamerならばよくよく分かることだと思う。一時は「Myst」以来、死んだゲームジャンルとされたADV・ビジュアルノベルものが復権したのはなぜなのだろうか?ちょっと理論的に検証してみる。

物語の喪失に対する対抗

まず、第一に挙げられるのが、『物語の喪失に対する対抗』というマクロ的な概念だ。言わずもがな、現代以降(ポストモダン)、ストーリーは失われ、人々が大きな物語のダイナミズムに感動したり心動かされるということは少なくなってきた。だが、ゲーム領域では、いくつもの独創的なアイデアに彩られた作品が多く出れば出るほど、それらがアイデアの連鎖を生み新たな物語のdeployに繋がってきた、というポモ時代の物語制作における例外があるということは明確にしておきたい点だ。純粋な古典小説は死んだかもしれないが、想像的小説は死んではいない。SFやファンタジーなど空想の世界に、人々の想像物を投影する役割を担っているゲーム領域においては『物語の喪失に対する対抗』となる作品が多く出現している。そのように『対抗』できるのは、なぜなのだろうか?ちょっと物語の継続性についてツッコんでみる。

ゲームの実装の在り方を巡る理由

たしかに古典的な小説においては、”大きな物語は喪失した”だろう。だが、ゲーム領域では、近年の漫画産業のようにジャンルを超えて実装ができる。つまり、ADVと一言でいっても最近のそのゲームは純粋なADVゲームではない。そこにRPG要素を混ぜたり、ビジュアルノベルに近づいたりと遠近感をもってして立体的に構築できるゲームを市場流通させることができるのだ。例えば、先にあげた「Myst」は純粋すぎるADVゲームだったが、「Tell Me Why」においては高品位な3Dのグラフィカルなメメントを盛り込むことで、あるいはホラーだったらば「World of Horror」のようなそれこそ漫画的な影響に追い置かれた作品も出すことができる。SFという想像物においてそれを投影した場合、作品は称揚され「Read Only Memories: NEURODIVER」のように成立し、断片的ながら、特定の会話シーンを取り切った作品である「VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action」「Coffee Talk」likeなものまでアイデアは煮え耐えて、まだまだ存在する。”物語の喪失下”においても、”小さき連綿とする物語”は未だ語ることが可能だ。アイデア・着眼点さえしっかりしてれば、ありとあらゆるゲームはテキストという記号を通じて、人々に物語として再解釈させることが可能なわけだ。今、ゲームの実装はイデアルな成果であり、それがさらなるスパイラルを生み、ジャンルという垣根を越えて表現されている。ポモ的には物語の実存は揺らめ脆くなっている反面、ゲームの領域では確かにそうした物語が存在するという、いわば”ストーリーの二面性”があるのだ。