【連載:クマでも読めるブックレビュー】「天才美少女生徒会長が教える民主主義のぶっ壊し方」天王寺狐徹~”かなり評価できる政治学入門書” | ゲヲログ2.0

【連載:クマでも読めるブックレビュー】「天才美少女生徒会長が教える民主主義のぶっ壊し方」天王寺狐徹~”かなり評価できる政治学入門書”



「天才美少女生徒会長が教える民主主義のぶっ壊し方」
天王寺狐徹著
本書の概要

結論から言うと、かなりの良書だ。確かに政治学本流の書ではないが、入門としては別格の出来。マジで学部の政治学入門の授業で使って良いレベルだ。分かりやすく書いてあるし、ほぼほぼ妥当なことしか言っていない。しかもオリジナルな対比論が多くあるので面白く読めるんだ。例えば『宗教として憲法を読み解く』『憲法(constitution)本来の意味を考えよ』といったところから始まり…『イギリスの民主主義』『絶対王政の台頭』など、現代(2023年の今読み返してみても…)から見てもかなりホットで現在進行形の話題が多く散りばめられている。また、”散りばめられている”といっても、個々の要素がバラバラになっているのではなくして、それらが一体化していく様子もしっかりと本全体から書ききっている。だから、読んでいて面白い。話が点と線で繋がっているので、個性的な語り口から述べられているのに、一冊が評論としてしっかりまとまっている。

弧徹が提示する『宗教論』

そのうち、一番重要な主張が間違いなく本書の提示する『宗教論』だろう。イギリスでもアメリカでもフランスでもそうだが、未来図のない夢想的な革命の宣言において、”主”だとか”あるじ”と表現されている”存在的神様”と”存在的統治者”が結び付けられているのは偶然ではない、と弧徹は主張する。もしこの仮定が正しい、とするのであれば、憲法で規定された権利(特に人権)とか義務とかが無作為に散乱し、本来あるべき姿にまとまらないのもまた偶然ではないはずだ。そうして、元ある宗教的権利(人権)の概念から、本来あるべき権利(人権)は本来あったであろう宗教からは切り離されてしまっているとさらに弧徹は続ける。

人権はすでに「世界中の大勢の人たちが人権を認めている」という事実そのもので成り立っていられる。だから憲法にも世界人権宣言にも神さまは出てこない。あたしたちはすでに飛び立って、信仰というロケット燃料を切り離したんだ。(p92)

確かに弧徹の考え方は興味深い。彼女の言う通りに考えると、人権というものがある種の信教としてしか存在していないまやかしのものである(本書で言う”共同幻想”)・少なくとも、本来はそうであるということに、実存的に繋がる。するとなると、絶対王政の施政者である王が権利権力をかざして、憲法を自由に改ざんし、立憲的横暴を自由な解釈でもってして咀嚼してしまうことはごく自然なことである…ということになる。現代的な論拠に繋がるわけだ。だからこそ、絶対王政や僭主が21世紀で台頭し、歴史は再び惨劇を生んでいる…というわけだね。このように現代性のある解釈がされているのは非常に興味深い。そこで登場するのが本書の提示するホッブズ論だ。

ホッブズは絶対王政を擁護したか?

ホッブズは絶対王政を擁護したというが、これはかなりの見当違い・間違いであるとする主要な政治学者も多くいる。日本語版のWikipediaにもしっかり書いてあるが、ホッブズは無条件に絶対王政に政治を託したというわけではないんだ。つまり、現代的な民主主義の解釈はある程度残したという説が今では有力だとする説も十分ある(特にこの手で有名なホッブズ研究者は東大の田中だと思われますが…)。『ホッブズの政治理論が近代的で民主主義的な国家理論であるとする説(Wikipediaより)』もあるわけね。この点は微妙に些細なことで重なっている点もあるので、決まっていえるものでないけど、民主的解釈の説も、本来の高校で学ぶ『ホッブズの政治理論が絶対主義王政を支持するものであるとする説(Wikipediaより)』と同じくして重要な解釈なわけだ(ちなみにセンター試験で前説を書くとぺケにされるので要注意!)。ここらは本書が勘違いしてる(と思われる)面もあるけど、解釈論として根本的に間違っているわけではないから大した矛盾ではないです。

弧徹が呈示するのは”ぶっ壊し方”ではなく”ぶっ壊れ方”である

このように自由自在に解釈が続くと、当然の結果ながら立憲的民主主義は、絶対王政や僭主によってぶっ壊される(自由に解釈され捻じ曲げることがいくらもでもそれこそ信教的に可能だから)。それは、自然の流れの上でのぶっ壊しなので、本来あるべき表現においては、ぶっ壊れ方であり、ぶっ壊し方ではない。本書の題は「民主主義のぶっ壊し方」になっているけど、これってかなり間違っていて(杉井があえてそう書いているだけで…)書いているのは「民主主義のぶっ壊れ方」,,,つまり『民主主義の自壊』を論じている書なんだよね。民主的なプロセスを経てぶっ壊れる、ということであって、民主的なプロセスを経てぶっ壊すのではない。あくまで、自らぶっ壊れに行く必然性が民主主義にはあるわけだね。

自壊の後の再構築~都市的無税国家~

そうして、都市国家という池田信夫や橋下徹がやってきたような論拠に繋がると弧鉄は主張する(もっと言えば、ニーアル・ファーガソンの論拠と繋がる)。民主主義がぶっ壊れた後は、当然再構築された政治的集合体として、都市国家企業体国家という名目が作られる、とさらに本書で弧鉄は述べる。アメリカの場合は無税国家(正確には都市として既に成立している)の立脚であり、日本の場合は、その具現的な政治団体がまさに大阪維新の会・日本維新の会であるわけ。そして、事実日本国民は一定の程度彼らに権力を委ね信認の上投票し、国会の場に彼ら候補者を置いている・彼らを送り込んでいる。本書が書かれたのが、2019年でプーチンがウクライナ侵攻をするかなり前のこと、ゆえに杉井には5年程度・あるいはそれ以上の先見性があったという評論があってもそれはまったくおかしくはないです。

※書影:Amazonより.