池田信夫先生は法学を勘違いしているのではないか?~「新領域法学」という道(みち)【再掲】 | ページ 2 | ゲヲログ2.0

池田信夫先生は法学を勘違いしているのではないか?~「新領域法学」という道(みち)【再掲】



検証の概要

みなさんご存知の通り、法学ってのはけっこう批判もありながら、法という支配的な概念、人間の欲求を抑えるために機能するものだということで、近代国家はほぼすべてが法治国家ということになり、ピンカーもいうように我々人間は平和な時間を過ごしています. ただし、そういった社会枠組みの中で多様性が培われてきてしまって、価値観もまた爆発的に変わってきた. するとなると、我々自身を束縛する法学が、法学として、あたかも文体として人間を価値観的に縛るという無理な論理が出てきたわけです. かつてサルトルが言ったように、我々は自由に生き生かされ、そして自由に縛られているわけですね.

Code : インターネットの合法・違法・プライバシー

するとなると法学もまたその内部にシステム的な不合理が生まれたということになり矛盾となる. となると法学はこれを置いておけない. というわけでレッシグなんかは著作の法学にシフトしていった. この肝となるのが山形先生が訳した本書です. これはさらに俺の勘違いでもあったのですが、法学といってもレッシグの従来の専門分野は実は法学の中でも立派な主流派の憲法学なのです(これはWikipedia日本語版の彼の学問分野にでさえ実は記載があるぐらい). こういうことになると、やはり「著作法学」とか「時間の法学」とかが絡んでくるようになったり、あるいは国際的なメディアや著作の権利的枠組みを再検証しようということで「新領域法学」という分野ができました.

対象はこれだけに限りません. メディア著作がらみ以外にもすでに挙げた時間を対象としたり知財ももちろん、心理学や環境工学だとかサイバーシステムだとかジェンダーだとか様々です. これらとからみあう法学すべてが一様まだおぼろげですが「新領域法学」ということなんですね. 確かに池田先生の言うように日本の法学系の研究者にはまだまだ保守的な層が多いですが、事実変わりつつある法学の価値観の問題に関して言えば単純に「徒弟制の凝り固まった保守派」というゴシップは成り立ちません(もっともこの分野はアメリカで先達だっているので確かに池田先生が言うように日本は遅れとっていますが…).

次に、その実例を挙げてみましょう.