今流行りのゲーム関連書籍リリースラッシュの何が問題か? | ゲヲログ2.0

今流行りのゲーム関連書籍リリースラッシュの何が問題か?



ゲーム関連書籍のリリースラッシュ

今、Steamプラットフォームも含め、インディースタイルのゲーム関連書籍や、ゲームを文化的に深堀する関連書籍のリリースラッシュが進んでいる。例えば、直近では「インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド—ゲームの沼」 「ゲーマーが本気で薦めるインディーゲーム200選」 「ゲームは人生の役に立つ。~生かすも殺すもあなた次第」 「eスポーツ選手はなぜ勉強ができるのか」などが出版されており、ちょっと前の時代なら到底考えられないほど、この分野・界隈での進歩があることは事実だろう(※各リンクはゲヲログ執筆陣によるレビュー)。

日本でPCゲームが受け入れられない理由のうちのひとつ~関連書籍の理不尽なところ

だが、”Steam”という単語を述べただけで、好反応を示す日本のゲーマ仲間は事実あたしの周りでも数えるほどだ。経験上言えることだが、やはりSONYなどのCS機でゲームをやるのが未だ日本人ゲーマの主流派なんだろう。かってのアルバイト先の同僚の中にも「GTA5」をやるぐらいコアなゲーマもいたけど、そのかたは肝心のWindowsのクリーンインストールレベルのOS基礎知識すら持っていなかった(どうやらPSプラットフォームでプレイしていたもよう)。『日本でPCゲームが流行らないのはなぜなのか?』これについてはゲヲログ過去記事を参考にしてほしいが、この責任の一端は、こうしたゲーム関連書籍の捉えどころがヌルヌルウナギであり、そのつかみどころが上手くいっていないのにも原因の一端があると思う。では、その原因とは具体的に何か?これについて本稿では述べていきたい。

単なるアイデアを盛り込んだだけで書籍としての新規性に欠ける

まず、ゲームの事実性に基づいただけの単純な発想ありきのゲーム関連書籍のリリースが多いということは厳しく指摘しておきたい点だ。例えば、ありがちな『ゲームの歴史を振り返ってみる…』という企画はたしかに表面上は興味深いが、その事実性だけを追っているのであれば、インターネット記事だけで十分なはずである。そうした企画はゲムスパの特集記事などにも散見させられるし、「それ、いまさらわざわざ書籍として出版する意味ある?」っていう疑問が生じるのは自然なことだろう。『歴史を振り返る』ということは、ジャーナリスティックにいって『事実性を追っていく』ということだが、そこにのみ焦点があっている本が多い。それならば、ゲムスパや4Gamer.netの奥谷記者の連載記事を追っていく方がずっと生産的な行動だ。彼らはプロのライティング業務として請け負っているわけで、文章の斬新性や新規性、ファクトチェックの意味でも信用に値する記事が多く書かれている(特に4Gamer.netの奥谷記者が凄いのはゲームメディア関係者の間では有名どころ)。それに準じて、後発のタイミングで、いまさらな情報をわざわざ2000~3000円もする高価な新規書籍で書かれても意味がないのは当たり前のことだ。これが第一の問題だろう。

単なるレビュー集に留まり書籍としての新規性に欠ける

耳が痛くなるかもしれないが、次点も厳しく指摘しておく。それが、単なるレビューの詰め合わせになっていたり、単純な構成のポートフォリオになっているだけの書籍が多い、という点だ。例えば、『Steamのゲームのレビューを集めてなんとか書籍にした』レベルの本も多い。そういうレビュー集を買って読むならば、Steamプラットフォーム上のレビュー記事を参照したほうがタイミング・リーチ面でずっと早いし、またゲーマ個人として具体的なタイトル購入に至る意思決定の速度も出る。単純に「こういうゲームもありますよ」「ここが面白いんですよ」というレビュー記事を集めただけ、そういったレビュー集になっているだけの書籍が多い。これでは当然、書籍としての独創性に欠けるいうことに相成る。であるから、そうした書籍ははっきり言ってわざわざ買う意味がない。ノウハウを示したり、環境導入のための敷居を下げたりする類の広範かつ定本となるような書籍がこの分野ではまったくないのだ。これもこれで十分問題だろう。また、よく欧米の書籍にあることでもあるが、物事の良いところだけを集め誇張する傾向も駄目だ。これは政治にしろなんにせよプロセスを通じる以上、何事も同じなのだが、良いところ・悪いところ、双方を具体的に論じ、その中身を精査し、なぜそうであるのか?また、どこをどうしたらいいのか、ということを書いてこそ、読者は書籍を通じての新しい発見にたどり着けるものなのだ。

まとめ~中身の薄い書籍の濫造という問題

まとめて一言で言えば、日本人の書いているゲーム関連書籍には理由付けだとか書籍であるがゆえの必然性に乏しい。前述したように「単なる表面的な歴史の振り返り」のパターンだったり、「レビューを集めただけ」のパターンであったりと、『一見斬新さを呈しているように見えるが、既出の情報をとりあえずとりまとめ、感想レベルで塗りたくり、特色性や新規性に欠ける汎用性なきアイデアだのみの書籍』がとてつもなく多いのだ。これでは、こういった書籍は、もともと元来Steamerであるコアゲーマが好んで買うぐらいであり、革新的に日本のゲーム産業を変えるような、また、そうした産業分野を活発化させるような類の流れに繋がらないのは当たり前のことだろう。結果、一般的な文化としての認知の問題どころか、PCに詳しい本格的なゲーマも増えないはずだ。まぁだからといって、たしかにSteamの入門本を出すとかそういうことも難しいのも事実。SteamやEpicなどのゲームプラットフォームの環境はデジタルが絶対だから、進歩やアプデに伴ってインターフェースも変わるし、そのたびに改訂した本を出すのもかなり困難だ。だが、だからといって関連する書籍が肝心のノウミソの部分を欠いていいわけではない。こうしたゲーム関連書籍を、あたしが酷評する傾向にあるのには、このような具体的な理由がある。