思うところがあって書くんですけど。ゲームIPってのは実は難しい問題です。傑作とされたゲームの続編がうまくいかないってこと、けっこう見ませんか?ちょっと構造的にこの問題をつらつらと書いてみようかと。実例を示しながら書いてみます…
これはでかいです。例えば、実例では、FPSでいう「Battlefield」や「Call of Duty」の事例が挙げられるでしょう。ハクスラだと「Torchlight」シリーズの事例なんかが挙げられるかな?エンジンは続編が出れば出るほど、基礎的に凝り固まっていく状況の中、なかなか革新性を見出せない…という問題はやはり頑としてある。というのも、ゲームIPの続編を作る以上、そこには保守性と革新性という二局面をうまくバランス取りしないといけないわけですよ。つまり「シリ不」(これはゲーム評価Wikiでも専門用語として扱われていて「シリーズファンにとって不評」を表す言葉だそうです…)になってはいけないものの、その保守性=変わらない部分でシリーズファンにとって好評でなければならないマストな部分と、変わっていく部分=革新性たる新しいゲームであってほしいというユーザの要求・願望にも適わなければならないという矛盾がある。この両局面に適うようなゲームを作り続ける、ということはかなり難しい。だからBFもCoDですら直近のIP新作はその評価が低空飛行状態になり、ごく自然とIPは死んでいく…という論理はあっていい。これはハクスラについても同じことが言える。むしろハクスラのように、絶妙なバランスを要求され、ゲームデザインの極地を極めることが求められる、そうした基礎エンジン=土台たる部分が、しばしばはなはだ揺らめいて定まらない状況に元来ある、ということもよくよくわかることです。つまり、エンジン…それもゲームエンジンの問題ではなく、もっともっと基盤的な、地に足のついた基礎エンジンをゲームデザインに採用するにあたり、うまくいかない…というような状態が必然的に出てくることはあながち的を得ていないものではない、と思うわけですよ。シリーズの作品というものは過去作からの伝統性と進歩性を両面担保し、「シリ不」にならないような状態をも作らないと、メタスコアなどでかなり酷評される運命にある。だからこそ、この綱渡りは極めて遂行させることが難しい。じゃあ、こうしたエンジンの枯渇化=基礎土台基盤エンジンの枯渇化という問題は解決ができないんだろうか?というとそうでもない。
…とその前に、任天堂のゲームについてちょっと触れておきます。例えば、「大乱闘スマッシュブラザーズ」。カンのいいひとならばもう言いたいことはよくわかりますよね。これはね、エンジンの枯渇化っていう課題を語るのにとてもふさわしいんゲーム作品なんですよ。まぁ開発というか主体となっているのは任天堂ではなく、関連会社のソラでしょうから、任天堂の事例…というよりかはソラとか桜井さんの事例という方が正しいんですが…。このゲームはシステムが洗練されていくと思われる一方で操作はとっても複雑になって行ったよね。Switchのコントローラ機能をフル活用するように進歩していった。そこまではいいでしょう。でも2Dのフィールドの中でできることはかなり限られる。イノベートしようとしてもイノベートの壁にぶち当たっちゃうんだよね。そうしてもがいていくうちに参戦キャラクターの肥大化という問題をごく自然発生的に生んだ。システムの交絡化とともに、です。ファンはもっともっと!と要望を送っている。もっと多数のキャラを・もっとすごい表現を・もっと楽しいエンタメを。それは資本主義の世・ゲーム産業の世として、当然のことなのですが、その”もっと”と桜井さんの”もっと”には、稲船が語ったような矛盾が・乖離が生まれてしまうんです。ゲームを楽しむ側と作る側で齟齬が自然と生まれてしまうんですね。そうとなると、そのゲームIPは陳腐化し腐敗化していきます。これ実はゲームIPにおいてよくよく散見される事象なんですよ。任天堂の超有力IP「大乱闘スマッシュブラザーズ」でさえ、根幹にあるIPエンジン枯渇化の問題・その構図はほぼほぼ同じなんです。当然拡大路線で行くけども、その拡大路線はIPの枯渇化を必然的に生んでしまう。ゲムスパが語るところによれば、桜井さんもこの手の問題はよくわかっている。だからこそ、”スマブラ”は成熟IPとして必然的な壁にぶち当たってる。経営学で言えば、故クリステンセンが言ったようなイノベーションのジレンマが、別レベル・別次元で生まれてしまうのです。これを桜井さんは最も危惧しているのではないでしょうか?では、次はそのエンジンの枯渇化に対抗している具体的な事例、それも任天堂ではない事例について語ってみます。
例えば、「Civillization」シリーズの事例を見てみてください。質の高いDLCを小出しに打ち出したり、あるいはほかのジャンルからのゲームモードをうまく移植して自社タイトルに適用する…ということも十二分可能なわけです。特にCivの場合、最新作Ⅵはけっこうそうした多様な手法を担保することで、シリーズIPの枯渇化・腐敗に対して、”鮮度”を保つことができている。DLCは好評だし、バトルロイヤルのアイデアを実装したりと、売り・利ザヤを得るためだけに更新要素が設定されたものではないわけです。そういう意味では、そうした”鮮度”を保つために、アプデを繰り返すという手法もまたあっていい。ネットワークを介したアプデで、ゲームのバランス問題やゲームの陳腐化の問題に柔軟に対応することで、前述したメタエンジン的枯渇化に対し、反例の狼煙を上げることは開発会社によっては十分可能な範囲にあるわけです。ただ、この手法もまた実装実装ありきで進むものですから、万能たる神手法ではないわけですね。
ゲームシステムに大幅なオーバーホールを組み入れるということも挙げられるでしょう。例えば、基本プレイ無料化やリメイク化ですね。「Counter-Strike: Global Offensive」はゲームの基本プレイを無料にして、オンラインゲームゆえのe-Sportsタイトルとして名を馳せる手法に走りました。その結果世界で最も成功したFPSの仲間入りを伝統的に自身守護している、という実績があるわけですね。それはオンラインだけではなく、オフラインのゲームでもまたあるアイデア・あっていいアイデアです。オフのタイトルでは「Resident Evil」シリーズなんぞはそのいい例でしょう。リメイク2/3/4ときて、かなり評価が上がっており、この流れの中で、新作も出せるわけですね。つまり温故知新、古きに学び新しきに活かす…ということができれば、IPの陳腐化に対してアンチテーゼを汲み入れることができる。まさにCapcomが復活した・息を吹き返したきっかけはこのIPの幅取りをうまく紐解いた功績にこそある。ユーザの声に耳を傾け、”本当に欲しいゲーム”の本質を突いてきた。きっかけは、ファンメイドのリメイク作に助力したことだった。このことがCapcom全体に染み入る潤滑油のように作用し、社の組織の歯車がもう一度輪転し始めた…というわけですね。
かつて、国内外で活躍したゲームデザイナーである故飯野賢治はゲームのシリーズ化・キャラゲー化・移植作品乱発を「ゲーム開発三大悪」と定義しました。本記事の中におそらく飯野の言いたかったことも(飯野ほどの理解ではないにせよ…)あると思うんです。特にシリーズ化の面はこの記事に当てはまりますよね。つまり、IPを使いつくす、ということは、その当該IPを使いきってしまう、ということでもあり、有限なゲームデザインの中でわざわざ表現を狭める、ということにしばしばなってしまいがちなのです。「Assassin’s Creed」シリーズを見てください。アサクリは新味を重視しているのでそうでもないほうですけど、停滞している状況は否めない。シリーズ全部がうまくいったかというとそうでもなく「やや好評」になんとか支えられてきた印象、ぬぐえていませんよね。まさにシリーズ化の典型的事例です。基礎的なエンジンが変わっていないのに、かつての栄光ばかりを追いすがって、幻想に突っ走る…これを飯野は懸念したのではないだろうか?というのがあたしなりの彼の理論に対する理解です。その点任天堂などはよくよくデザインの原理が分かっている。「スプラトゥーン」はナンバリングが3まで来て、これ以降も続くのだろうか?ということをよくよく考えてみてください。おそらく任天堂は「スプラトゥーン」IPを”これ以上いたずらに永くすることを望んでいない”でしょうね。うまく切りどころを見つけ、それこそ故横井軍平がかつて述べたように”枯れた技術の水平思考”の思想にうまく対応していくように、新しい価値創造、つまり生産性向上および娯楽性ミスマッチの最大級の逓減および新造、に今後も全身全霊で尽力していくはずです。その当の任天堂でさえ、この問題は完全には解決できないでしょう。他方、MSは相変わらずゲームIPについて、本機でやる気があるんだかないんだかわかりませぬがねw。…と、これまで語ってきたようにゲームIPの継続問題は、RPGのラスボスであり、その居城、まさに伏魔殿のようなものなんですね。
<了>