カルテル化する政党政治 | ゲヲログ2.0

カルテル化する政党政治



コトの本質が見えにくいのは、民主主義の歪な形が露制してきたからだと思うんですよ。というのも、例えば、日本大学の岩崎も言うように、政党、というものが本当に民主主義に必要なのか?という論拠ってあっていいとも思う。論的に近い話だと、かなり昔(時期的にはかなり昔)、はてなダイアリーで、政治学のブログやっていたある有名高校生コテハンがいて、そのかたはこう言っていた。

『マニフェスト』というものを全投票論拠に据えると民主主義が衰退する可能性がある.

この論は論こそ歪な論だけど、視点としては面白いと思うんですよ。つまり、手っ取り早く言っちまうと、政党の切り口、というか、政治判断って多極的なものでもいい。個々人の解釈はまったく自由であっていいものなんだよね。次元というかディメンジョンというか。いくつもの多様な意見を尊重しそれを主軸に据えていくことも見据える、これが民主主義の原点なはずなんだよね。比例代表枠はだからこそ必要なのだ。

政党政治が腐ってってるっていう意見にも十分理解示せないわけではない。これを岩崎は政党衰退論としているんだよね。政党政治の否定っていう論拠は元々主に中国とかの共産圏で有名なんだよな。では、共産党による一党独裁体制が政党衰退論と同等か?というと明らかにそうではない。政党衰退論はどっちかっつと、純粋な民主主義的な観点から紡がれたものであって、独裁制とはベクトルが向いてる方向違ってるわけよ。

例えばさ、考えてみてもらえればいいんだけど、派閥とか政党っていうのが陳腐化してる、政治の劣化はここにあるんじゃないのか?っていう論拠はよくわかるよな。一人一人が選んだ候補者に投じた一票、それが具現化して政治方向性を決める要因になるわけで、それこそWikipediaだって各論で個人個人の政治家の主張をまとめている。どれどれに賛成・反対ってさwそもそも同じ政党同士なはずだろ?っていうほど意見の乖離はあるよな。それでも何となくまとまっている。これがカルテル化すると、カルテル政党になってしまって、民主の力を政治に反映することができなくなっていく(この分野のパイオニアはカッツとメアだろう)。既存の政党が民心から離れて、国の体に近い形になっていくんだ。

これは老人政治にも近い論でもある。多くの民の力が投票という制度によって守られ、主張されるものであることには違いないが、少子高齢化が進めば、政党もある種局面打開できずに、既存の既得権のみのための政治をせざるをえない。すると、税金のための、あるいは税金のためではない、『単なる政党』になっていく。政治は結果論で腐敗し、インターネットがその外側から国家を蝕んでいる現状に悲壮感が漂う…(と池田は主張する)。

この政治硬直化の時代にドメイン投票という方法も考えられてきた。これは子供の選挙権を認めて、その代行を親がする、というものだ。本当に平等な未来を見据えるのならば、こうした新味のある斬新な論の実現や、年齢による選挙区割りの工夫があってもいいとあたしは思う。ドイツでは本当に真剣にこの論が議論されている、30年の時を超えてね。まったく実現はしてない夢想的な論だけど、その趣旨に理解は示せる制度だよな。

派閥解消っていうのの先に、政党解消という、民主主義の未来が見えないこともない。なんならば、民主主義の終焉っていう意見も見えないこともない。ロシアで、中国で、イスラエルで、ある種のポピュリストたちの代表が台頭している。時代が一周巡って、かつてアリストテレスが言ったような、寡頭制の時代がまたやってきたという主張も多く聞くようになった。トランプ・習近平・プーチン…今求められているのはこうした僭主を克服できるような新しい政治の理論なんじゃあないかな。だからこそ言おう。

もう、アリストテレスの政治学に無駄に回帰し、これを称賛することはやめよう…って。