虚構新聞―表現の自由を掲げる一方他人の表現は弾圧する矛盾フェイクニュースサイト | ゲヲログ2.0

虚構新聞―表現の自由を掲げる一方他人の表現は弾圧する矛盾フェイクニュースサイト

私は朝日新聞が嫌いだ。読売新聞も嫌いだ。どちらとも自分の権利は、”報道の自由”とか”取材源の秘匿”だとか声高に主張する一方で、他人の権利はまったく守らないからだ。確かに法的なルールとして公人にプライバシーはない。だが、それが不文的な法のありかたに対してなんでもあれということでもないはずだ。村木さん事件のときも本当の被害者(村木さん)のことを、真相が明らかになったとき、彼ら新聞メディアが自らのポリシーを守ったのか?誤って検察の情報をミスリードしたのであれば、それを検察に責任転嫁せず、おのずの紙面を休載させたり、謝罪の広告を出したり、村木さん自身に謝ったことが一度でもあったか。間違ったミスリードによる責任を自分たちマスコミがしっかりととろうとする感情すらないのか?

虚構新聞も同じだ。管理人のUKはなぜああいう風刺サイトを作ったのか?風刺を自分の権利として堂々と前提にするのであれば、障碍者のことを揶揄する稚拙な記事を上げたり、他人の権利を踏みにじる記事を作ることは許されない。本当の風刺ならば、「この記事は嘘ニュースです」なんていういいわけの白の字幕をつける必要はないだろう。よーするに虚構新聞はうしろめたさがあるだけのシャルリー・エヴドと同等の矛盾フェイクニュースサイトなのだ。欧米の知識人ではあの風刺画は特に評判が悪かった。E・トッドもあのカス風刺画(エヴド)のことを批判し軽蔑していたほどだ(当然トッドの意見が社会一般的に正しい)。「人々は下品下劣な風刺画を描いたりする代わりにせねばならないことがあるはずだーそれほどフランスは危機に瀕している」―E・トッド

UKはかつて管理する大本のサイトである「楠木坂コーヒーハウス」(現在は閉鎖)の併設掲示板で、虚構新聞の記事の中で使われている権利物の許諾を権利者にとっているのかというユーザの質問に対して、「こういったセンシティブな意見は抹消することもありうる」と公言していた。許諾をとっていないのであればそれはそれでいいかもしれないが、「ふと疑問に思ったユーザによる意見を抹消する権利」がUKおよびUKの管理する某コーヒーハウス・虚構新聞のどこにあるのか?なぜあるのか?しっかりと答える責任がUKにはある。このように新聞各社も虚構新聞を運営するUKもそうだが、彼らが強く信奉する報道の自由という権利は、実は自身の権利を守る疑似的なブツにすぎない。

欧米のメディアはまだまだましだが、彼らでさえArma3のSSを間違って実際の戦場の様子として使ってしまうことがあるぐらいだ。これぐらいのミスリードならまだ許されるだろうが、越えてはならない「報道の責任」がメディアにはあるはずだ。むしろ、トランプも言うようにありとあらゆるメディアは疑似的な権利を持っている。だからネット上でのマスコミュニケーションは評判が悪い(そのうえ虚構新聞はアフィリエイト付きで配信している営利サイトの性質も持ち合わせる)。

UKは今すぐに虚構新聞の理念を検討しなおし、コラージュ画像などの権利がらみのことは同人活動としていいまでも、自分のメディアとしての立ち位置をもっと明確にするべきである。ネットとはいえどもそういった抽象的な社会と接し、「社会的な興味関心を惹くための記事・コンテンツだ」というのであればそういうなりの合理化をすればいい。これはなにも虚構新聞やUKだけに限ることじゃない。朝日も読売も同じだ。いいわけだけじゃなくて、素直に謝るとか、体制を変えるとか、取材に対するポリシーを更新し続けるとかいくらでもできることがあるだろう。

するべきことをせずに、自分の権利は同じ傘の中にあると思い込み、他人の意見や権利は尊重せず、むしろそれらを一方的に抹消し、自分たちのいいたいことだけはいっておきながら、他人を落とし込み、その現状を改善させる意図さえみせないのはなぜなのか?これはトランプがああいう主張でホワイトハウスに居座る結果になっている今だからこそ、社会全体が考える必要があるときに来ている。自分が守られるときと他人を風刺するときで一線超えた権利間の齟齬があってはならない。そういう意味でたしかにある程度のスパイスの効いたセンスある記事はあることにはあるが、虚構新聞は本来は風刺を目的としているものでなく、単なる矛盾したフェイクニュースサイトである。自分の権利は社会的に守られるべきとするのに、他人の守られるべき権利を軽んじるのは、もはや”自由”ではなく、単なる”無責任”に過ぎない。

無責任でメディアリテラシーのかけらもなかったこんな人が領土や領海、国籍や少数民族などのことを論じる資格があったものだろうか?彼の評論の中でも唯一妥当な漫画評論は、「ねとらぼ」さんで堂々とやっていてほしいってものだ。