牧野富太郎(1862-1957)とは独学で世界的な植物学の権威となった実在の人物である。
牧野は「雑草という名の草はない」という名言により広く知られ、この言葉は、「分類できない植物はこの世にひとつとして存在しない」という意味として、今日受け止められている。いわゆる”ムジナモ”の植物分類研究により、ロシアの学識者(当時最先端の植物学国家圏であった)に認められ、世界的な植物学権威となった、とされる。その他にも様々な植物分類を行い、新種の発見とその記録の面であらゆる他を寄せ付けない業績により名を馳せ、今日の日本の植物学において、また、世界の植物学において、必ず考慮しなければならないひとり、とされる偉大な人物である。
彼の筆致は筆の使い方・墨の使い方からなにからなにまでが機敏に富んでおり、極めて精密・正確である(筆致は馬の毛を使った筆によるものであり、当時、この先端分野において必須だが、極めて高価なものであった)。NHK放送資料館での牧野の人物紹介映像では、この牧野の筆致、現代の最先端の精密映像技術でもってしても、なかなか到達できないレベルであるとされている。「植物分類学の祖」とされ、日本における”近代植物学の父”とされる人物。平成・令和の時代においても彼の誕生日は”植物学の日”と学会などにより制定されていることは、今日の日本国民にはあまり知られていない。
牧野は小学校中退ながら教員を務め、植物採集のための高額な採取道具カバン一式を巧みに使いわけ、研究を完全に独学で進めた。東大で助手を務める牧野は学歴がないゆえに、奇異の目で学内で見られた。娯楽も趣味であり、特に当時の高級食品であったすき焼きが好物であった、また、東大資料館から借りた書籍の返還期日を守らないなど、あまりに、自由奔放な性格であったため、牧野は学内の当時最先端の学識者と対立した。しかしながら、結果的には偏見や差別を克服し、東大植物学教室付講師として、欠くことのできない人物であることに疑いはないとされるに至り、今日においては、当時の正教授よりも偉大な業績を挙げた人物だと評価されている。
牧野の人生においてその集大成とされるのが彼の博士論文である。牧野は懸命に努力し、金銭面で神戸の資産家の支援を受けながら、この研究を進め、博士論文「日本植物考察」を完成させた。愛妻家としても知られ、”スエコザサ”という植物分類名は彼の妻の名に由来する。分類した植物は50万にも及び、他のどの植物分類学者よりも偉大な業績を挙げた。1957年没。植物を愛し、人生のほぼすべてを植物学に委ね、懸命に生きた94年の生涯であった。