【黄昏ゲームレビュー】Steamで蘇るノベルゲーム(テキストADV)というゲームジャンル | ページ 2 | ゲヲログ2.0

【黄昏ゲームレビュー】Steamで蘇るノベルゲーム(テキストADV)というゲームジャンル



前座:Keyという存在

この手の物語の前にはやはり”前座”が必要だったのは間違いないだろう。一時期は死んだジャンルとされたビジュアルノベルでは、特異点としていわゆる葉鍵系のノベルゲームが和製市場を席巻してきた。その内容についてはここで語るまでもないが、それなり説得力あるコンテンツとして、アニメ化もなされ、このジャンルのゲーム反撃の狼煙を上げた功績がある。なんだかんだ言って、これらのゲームがなければ、今日のノベルゲームの存在もない。こうして考えると、ノベル系ゲームのうち多くが、日本語対応しているのにも確固たる理由がありそうだ。

映像技術の進化と古典的回帰

次点で復活を印象付けたのは、映像技術の進化というファクターだろう。思えば古典的ADVというものは、初期のころの「Myst」に代表されるようにシーンシーンをカチ切った、シームレスではないカットされたゲームだった。そのため、断片的な映像技術に依ってしまい、リアル感が少なく、プレイヤーの想像力・バイアスに乗っかる必要があった。無論当時の技術からしてみれば、グラフィカルな制限と限界があったわけだ。だが、映像技術の進化とともに、シームレスにカットされたシーンがつながり、自然とプレイヤーの感情論理に乗っかり”バイアス頼み”でない、ADVの実現が為されるようになった。古典的な2Dで描かれたドット絵なども可塑的可能性が充実することになり、この産業分野でのノウハウはさらに活況を呈している。ニューオールドなビジュアルを再構築できることにもつながり現代に至っている。新しさがあるからこそ、古典的な良さもまた再発見できるようになるのは、どの分野においても当たり前のことだ。

サウンドトラックという抽象財のプレゼンス

第三に挙げられるのが、音響の技術的進化だろう。押井守も言うように、映画において音楽は重要だが、同様に、ゲームにおいても重要なファクターである。雰囲気を司り、黒子として物語を彩る要素、サウンドは現代のゲームにおいて極めて重要である。確かに、神音響andクソゲーという「チーターマン」の事例はあるが、良作とされるゲームはほぼほぼどのジャンルにおいてもサントラも優れている。かつて桃井はるこが言ったように、アニソン/ゲーソンの音楽はブレがなく、消費者にダイレクトに感覚訴求するので、色濃くそれが裏方で仕事をしてくれる。サウンド・音響、というブレのないファクターが、支え続けているゲームジャンルは多いが、その中でも、アトモスの感覚に長けたテキストADV・ノベルゲームのジャンルにおいてはその重要さが特に顕著である。未だに伝説的な音楽クリエイターが強くタクトを振るってくれていることもまた、このジャンルが再支持された大きな精神的支柱のうちの一つと言えるはずだろう。

総括

思えば、あたしも前、こういうエントリを書いて(ゲヲログ2.0)、ひとつのコンピューターゲームのジャンルを批判したことがある。だが、時代が廻れば、主役も変わり、そして再評価されるものもあるということは忘れちゃいけない。一度衰退したけれども、新たなるメメントを織り込み、仕込みに耐えに耐えて作られたジャンルってのもある。思うに、このように回帰するということは、進歩するということでもある。古きに学び、新しきを取り込み、進化する…そういうゲームのジャンルが、まさにノベルゲームなわけだ。複雑な操作が必要とされるのであれば、対抗策となるメカニズムを仕込み仕組めばいい。簡素すぎて切り取った、映像的な流れの見受けられないゲームジャンルであれば、それを克服できるだけの技術革新(イノベーション)を為せばよい。それこそが、シームレスなゲームジャンルの流行に繋がるのだろうし、Steamが成し遂げたマクロ的ロングテールな成果そのものだろう。ノベルゲームもまたかつてのように流行し、再び衰退期に入るかもしれない。だが、その時からそのジャンルの再構築(re-construction)は始まっていることを忘れてはいけない。