いや良く考えてきたなって感じ。TRIGGERを制作会社に据えて、よくこのレベルのアニメを作ったなーって思いました。複雑な考察とか入らないと思います。話の構造はいたって単純で、一人の少年が一人の女性と出会い、その後の生死の別れを描いただけ。ゲーム本家「Cyberpunk 2077」のスピンオフですが、いくつか書いておきたいことがありますので、その面を(勝手に)評価させていただく。
まず、指摘できるのが空気感をSF流に洗練させている点、その描画を主にしている部分ですね。例えば、電子通話のツールを随所にMR風に入れるところや、インプラントの装着などのガジェットを作り込むところが、物語のインタフェース系の充実さに繋がっていて、SF・それもポストモダンのSFに近しい様相を呈しているところは重要です。これは至極当然なことで、技術がハードとソフトを行き来する時代にあってこそある側面ではこうした描画がかなり有効に作用するものとなる。ぶっちゃけて言うと、あくまでも、物語の流れ・その本流はあまり存在しないので、インタフェース系で本家のゲームの空気感を充実させているところが大きなミソかな…。
次に指摘できるのが、キャラクターの唐突な死ですね。リアルな描画に即していて、人やサイバーパンクの仲間たちが次々と死んでいくのがかなり特徴的です。R指定ついてるのもよくわかる。仲間が裏切りと策謀の中でリアルに死んでいく、悲惨無情にも。サイバーパンクの世の中のヒエラルヒーを転覆することはだれにもできなかったし、10話ですべて描き切るのも相当無理があるのに、このリアルな側面・人間の血なまぐさい闘争の世の中はしっかりと描き切ったのは評価できるところです。てか、やっぱりTRIGGERってこういう洋アニメのノウハウもしっかりあるんですね…。人物の死を唐突に持ち運んできて、これぞ『無法地帯(!)』と言わんばかりのパラレルな未来のリアルワールドを描けている。
個人的には、ここまで、人間の心が荒み荒廃していく様子はあんま見たくないんですよね…正直。例えば、デイヴィッドとルーシーははっきり言って、それほど現実乖離しているものたちではない。ごくごく、ありがちな少年と女性です。時代が違って、その死の宿命から逃れられる志行が少しでもあるのであれば(またそうであってほしいですが)、未来はまた違った形であったはずです。この時代・この境遇に生まれなければこそ、こうした死の宿命から逃れられた。デイビッドがルーシーを救い、夢をかなえさせるだけのことは、自分を犠牲にせずともフツーは十二分できたはずなんです。それができなかったのは、デイヴィッドが悪いわけでも何でもなく、物語の舞台・時代の流れの中で、そうせざるを得なかったからしてそうなっている、というだけのことであり、それがデイヴィッドの思いつくルーシーの救済策のうちの筆頭・限界点ギリギリだったんですね。
ストーリーの主軸は、ただそれだけの体裁を見繕った物語に過ぎないものですが、このエッジランナーズでは人と人が何をもってして、このサイバーパンクの時代の中で暮らし、生きていくのかという残酷な結末を描くに徹する。しかも陰鬱さとは裏腹のEDM的な秀逸なポップともいえるBGMと同じくして、絶望の中に生きる一筋の光に焦点を当てて、非常にストイックに・単純にこれを描いています。その点、俊敏さを備えながら率直に描いているがため、見終わった後の『喪失感』『虚無感』がすごいです。だって結局誰も救われねえんだもん。技術革新とか新時代のIoTとかそういうものに翻弄されただけの人々がいることを、アラサカの上層部やなんとかとかそういう面構え抜きにして、すごくストイックに描いているだけです。だからこそ、ですが、世の中の大勢の流れにはデイヴィッドもルーシーも逆らえない。ただ、ルーシーを生かして、月に行く夢をかなえさせることだけが、デイヴィッドの夢でした。自分の夢以上にルーシーの夢をかなえることが夢だった。これほど酷な人生があるでしょうか?だが、人間は満たされないからこそ、満たされる条件を探しつくし、そうして刻苦し、そのうちだれもが去っていく…人の趨勢の美しさに焦点を当てている点では、誰もが酷な中で必死で光り輝いている。苦しいからこそ、輝くわけです…。
生命の輝きに残酷な側面から焦点を当てているのは確かにそれはそれですごいこと。でも時代の流れの中に沿ってそう相成った、とはいえ、やはり、彼らにもう一回生きるチャンスを与えてしかるべきだと思いました。今度はド~しても平和で、みんなの希望が調和性でもってして統一されている、穏健な世で彼らの幸せな人生を今一度見たい…そう、あたしは思いました。
※画像:Netflixより引用.