「Jump King」に見る苦悶を共有しながら共闘するゲームの発見 | ゲヲログ2.0

「Jump King」に見る苦悶を共有しながら共闘するゲームの発見



なにもこの発見は目新しいものではない。

Steamのゲームに「Jump King」というものがある。中世の騎士の格好をした鉄仮面マスク男が、ジャンプして超難易度を誇る高高度プラットフォームに挑む,,,という内容のゲームである。ありていに言うと、騎士コスプレのひとり男がジャンプで山登りをする、というだけの、とりわけ『ジャンプのタイミングと位置取りがすべて』の難しいゲームだ。このジャンプのための脚力を貯める動作がボタンのプッシュ&リリースと同期していて、操作性をわざと悪くすることで、シビアすぎる登山を題材に取っているゲームになっている。

ゲーム「Jump King」にストーリらしきものは特段ないに等しい。そもそも、この手のゲームの元ネタは幾らでもあって、天才ゲームクリエイターとして国内外でその名を馳せるベネット・フォディーの”壺おじ”こと「Getting Over It with Bennett Foddy」に始まり、多くが存在する。一昔前であれば、この手のゲームは酷評されるだけだっただろうが、ゼロ年代に入ってからそうとはいかない評論が度々出てくるようになった。”壺おじ”はそのゲーム性が絶賛されているのである。

「QWOP」の作者として知られるベネット・フォディは、子どものころから難しいゲームについて興味を抱いていた。フォディがオーストラリアに住んでいた1980年代から90年代の間は、「ジェットセットウィリー」などの国外から輸入されたゲームしか遊べなかった。これらのゲームの多くは、セーブシステムが不十分だったため、キャラクターが死亡した場合は最初からやり直す必要があった。

1990年代、アメリカおよび日本製のゲームはセーブシステムやチェックポイントを導入するようになり、キャラクターが途中で死亡しても最初からやり直す必要がなくなった。フォディはセーブシステム等の導入について、『ある地点まで送り戻しが少しずつ減っていく要素は、いまやこのブティックのものになってしまった。ある世代の人はその感覚を持っているし、すべての人にそれがあてはまるだろう。しかし、このようなシステムは正統からはずれたものである』とGamasutraとのインタビュー述べている。

その後、フォディは「DARK SOULS」シリーズといった高難易度ゲームの再来を目の当たりにした。 さらに2017年8月に発売された「Hellblade: Senua’s Sacrifice」というセーブシステムがあるゲームにおいても、プレイヤーが何度も死亡した場合はセーブデータを消去されるシステムが導入されたことで他のプレイヤーが挑戦しやすくなり、あえて難しいゲームデザインにすることで新たな興味を引き寄せることが証明された。 

実は日本はこの手のゲームの先進国である。そう、キング作「人生オワタの大冒険」が嚆矢なのだ(これがまさにゼロ年代のころのフラッシュゲーム)。どちらかというと、この”オワタゲー(死にゲー)”は死ぬことを前提にしている点で、困難自体と向き合うゲームとは別種のものだが、難易度が理不尽なまでに高いのにやる価値のあるゲーム、という点ではこの手の前座のゲームや後出のゲームとかなり共通している点がある。このゲームをきっかけにして、kayinの手によって「I WANNA BE THE GUY」も作成された。その後のプラットフォーマ系ゲーム「Super Meat Boy」「Celeste」に与えた影響も大きい。

時は過ぎ去り、”ポスト壺おじ”と言うべきタイトルも多く出てくるようになった。今回紹介した「Jump King」もその一種であることに間違いないだろう。だが、さらに、多様なデザインでこの苦悶を共有するゲーム群が多く出てきた。そのうちの代表的なタイトルが「Pogostuck: Rage With Your Friends」「Diamond Hands: To The Moon」などだろう。この手の苦悶・苦悩・苦闘をオンラインゲームにしたわけだ。つまり苦を共有するというアイデアに、フォディーのゲームは称揚された、と言っていい。そして、”オワタゲー(死にゲー)”のほうもオンラインゲームになってリリースされる。それが「オワタのアクションオンライン」である。当の「Jump King」もオンライン版が開発されている、という。

とてつもない苦難に挑む、というテーマは、人生に似ている。とりわけ登山はそうである。なぜ山に挑むかもわからず、だが、山に挑みそれを超越することで、人は人生の真価を得る。登山は、覚え、実践し、乗り越えるものなのだ。そこに理由があるか否かは、人生の意とは関係がない。苦悩を共有するという地味な発見は、実はなぜか苦みのある人生の教訓にかなり似ている。だがだからこそ、面白い味がある。邦内で著名なゲームライターであるKawaiは、とあるカナダの名女優の言葉を引じてフォディー流ゲームの言を締めている。

『失敗とは転ぶことではなく、転んだまま起き上がらないことである』
—Mary Pickford—


※文章:Getting Over It with Bennett Foddy Wikipediaページより引用.