【クマでも読めるブックレビュー】「読む音楽 完全版」DJテクノウチ~音楽関係者必見の入手困難書 | ページ 3 | ゲヲログ2.0

【クマでも読めるブックレビュー】「読む音楽 完全版」DJテクノウチ~音楽関係者必見の入手困難書



次に音楽を読むうえで、パクリや模倣とかアレンジの組み込みについてテクノウチは論じています。オリジナリティの項ですね。この分野の先達として、東浩紀・大塚英志・養老孟子などを挙げてます。それぞれデータベース消費・物語消費・精神世界の消費論のようなものを提示して、具体例を書き説明してから、個別の音楽論への言及に及びます。あえて、テクノウチは”音楽とはそもそもパクリである”と言います。そもそも12音階の表現、というものはぶっちゃけそれ自体パクリであり、それがパクリでなければ、自由な創作はあり得ないのだと。なぜか?

12音階表現でできる範囲の表現はそもそも限定的です。表現が同じようなフレーズに落ち着いてしまうことは12の音で奏でるだけの音響要素として至極当たり前のことであり、それ自体が内部に不自由を抱えているのです。よくよく【音楽は自由な創作だ】と勘違いしているかたが多いけど、そうではない。音楽とは自由な創作を建前にもっていながら、そこには限定的なフレーズという不自由を持ち出しているのですね。つまり、元来、音楽は、自由という仮面言説をかぶっていて、むしろ、その内部にある不自由さが本質だ、というわけです。

これは、東方アレンジを見ればよく分かる。そのほかの同人音楽作品の発展・進展の様子などを見ても、よく分かることなのです。例えば、東方アレンジは一介の表現解釈の変更に過ぎず、原曲信者がいることをテクノウチは指摘します。だが、それが様々な解釈の元で作られた、メタ創作である限り、それがオリジナリティの一端を担うことは、なんとかできると思わされるわけです。他、ゲーム・アニメ・漫画などでも同じです。

そもそも模倣から始まり、それがオリジナリティにたどり着く、ということはコミケなどの様々な二次創作活動を見ても明らかです。二次創作から完全創作へ。このプロセスを大切に出来ないIPは今後より一層沈んでいくであろうことをテクノウチの文章そのものから読み取ることが出来ます。MAD作品もそうだよね。ネットの創作活動を踏まえ、創作とは何たるか?ということを、まずは提起できなければ、音楽だけではなく、様々な創作の意味・その真意が疑問形で問われることになってしまう。むしろ二次創作があるからこそ、オリジナリティとは何か?という疑問が存在するので、それ(二次創作)はそれ自体存在価値のある問という側面を持つものなのです。

テクノウチが言うのは徹底して逆説の自由、つまり自由という面をかぶった不自由なのです。