結論から言うと、大変素晴らしい書籍だ。これまでの紙屋氏の書籍の中でも抜群にオリジナリティーが高いのが本書。著者の紙屋氏はもともと漫画評論のサイト管理人として一般的な知名度が高いかた。この書籍は「あいトリ」事件を同氏の法学のバックグラウンドでもってして解析するとともに、「宇崎ちゃん」問題を本来の紙屋氏運営サイトの主旨のバックグラウンドでもってして解析している。紙屋氏のことはぶっちゃけ共産党のシンパでしかないとあたしは思っていたが、本書を通じて大変軸のある・深い意見のあるかただと見直した。
あたしが特に優れている、と感じたのは、「あいトリ」事件を解析した、本書さわりの部分だ。本書にはいくつかの図示が示されている。例えば、表現者と弾圧(わかりやすいのでこの言葉を使ってるだけで”批判派”を貶めるつもりはない)側とを図示しながら、図解している点。これは本当に優れたアイデアだ。思えば「あいトリ」事件の構図の図示っていうのは専門家の解説レベルにおいてもほとんどなかった。テレビで見るのはまことしやかに問題に対して、多様な意見を示す・立派な経歴を持つ、格式の高そうなお偉方ばかり。これでは、表現の問題を一般対象化することはできないだろう。
だが本書は違う。しょっぱなから本質的な問題をイメージに落とし込み、図示することで、事件のメカニズムを簡易化し、レベル低廉化せずして、解析する題材・具材の現実化を達成している。なによりも、図示することで誤解が防げるし、問題のメカニズムを常識的に考えた上で、本来あるべき捉え方という方角に、議論の軸を修正することができている。つまり、『非常にわかりやすい』。そうしてから、その後のプロセスで、いわゆる「表現の自由」を巡って大学教授などの専門家の意見を一つ一つ階段を上がって踏まえていくので、段階を追っていける、誤解が生じることが極めて少ない書籍だと感じた。
紙屋氏は自身のことを”素人”と本書の中で自認しているが、素人は素人なりの考え方ができる、むしろそうだからこそ専門家よりもよりわかりやすい解説ができるということを示せている。ほとんどこの類の敷居の低い評論書はぶっちゃけ読むに値しないものが多いが、このさわり・図示の部分を提示しただけでも、貴重なオピニオン的”エッセンス”になっている。序盤は展示品を具現的に見ていくという繋がりになってて、自然体に内容が頭に入ってくる。いわば本書の本質は冒頭部に示された図示にあるといっても過言ではないだろう。
そうして「あいトリ」事件を踏まえたうえ、その延長上に「表現の自由」を巡って、「宇崎ちゃん」問題にシームレスにつながっていて、著者は表現あるいは規制の中立性について、それこそ中立的な立場でもってして、問題を客観的に達観する。思えば、池上彰は安保法制の時、自分の意見を主観では語らなかった。それは自分の意見が、ある種民意の形成に直接的に作用することを彼自身が特段嫌っているからだ、といえるだろう。
つまりこの手の問題解析にあたっても、池上流オピニオンに対する姿勢も、共通項を多く持っていると思う。ある特定のインフルエンサーに流されることはあってはいけないのだ。多くの大学教授や専門家もこの点を誤解しているかたが多い。つまり、傍観者に意見するにあたり、(究極的に言うと)主観でもってして語ってはいけないのだ。なるべくでいいんで、客観を提示し、彼らなり己の意見を助ける・つまり『良く考えること』を補助することが重要なのであって、それ以外で本質的かつコアなものはほぼほぼないといえる。
この書はたしかにある種左派リベラル的な考え方が基礎に据わっている。だが、それ頼みではなく、むしろ表現的右派という弾圧・批判側に対しても一定の理解を示し、それらを巻き込んでの、いわば”客観さ”をうまく呈示できている。あたしなりの比喩だが、この書を紐解く鍵の根底は、『蚊に刺されることを覚悟しながらも蚊帳の外に出るべきだ』という経験的・実地的行動論にあると思う。
この書は、問題のメカニズムを図解し、どのように客観的に物事を見るか?といういわば、『客観のための客観』を示せている。集団分極化(group polarization)はあってはならないという前提が本書にはあるのだ。そういう意味で本書は政治書ではない。あくまで評論が軸だ。だが評論だからこそできる点を一通り抑えている。その点でもってして、近年話題の「表現の自由」を巡っては、間違いなく読解しなければならない、価値ある本だといえる。
※書影:Amazonより.