なぜマルチプレイヤーゲームはダメなのか?~梅原の言っていることは正しいか | ページ 2 | ゲヲログ2.0

なぜマルチプレイヤーゲームはダメなのか?~梅原の言っていることは正しいか



たぶん次のふたつが有力な候補です。

・マルチプレイヤーモードの競技性を減衰させお祭りモノにする.

これね、競技性自体をゲームから無くしちゃうってのはありだと思う。つまり、マルチをお祭りゲーにしちゃうんですよ。「Human: Fall Flat」がいい例じゃん。お祭りものに仕立て上げれば、上達とかそれに飽きるとかとは無縁でお気軽にプレイできる。前ページで書いた”上達臨界点”を超えるつもりも持つ必要なければ、楽しくマルチゲーをプレイし続けられる。お祭りモノにする、さらに言っちゃえば所謂バカゲーにする。これは良い案ですよね。これの亜種が、マルチホラーにしちゃうってことでもある。「The Outlast Trials」みたいに競技性は無くして背筋を凍らすほどの怖さをゲームのテーマに据える。テーマ自体を競技型からコペルニクス的転回しちゃうわけだ。

・ゲーム性を追求するに当たり本質的すり替え:換骨奪胎に走る.

ちょっと説明が下手ですがw、こう言えるでしょう。例えば、高難易度ゲームのオンライン版にアイデアを取る。理不尽な難易度を誇るゲームをオンラインマルチプレイモードとして実装する。「Pogostuck: Rage With Your Friends」がいい例よね。競技性を無くして代わりに理不尽さな難易度と操作性を意図的に含ませる。共闘する高難易度という分け前を多くのプレイヤーに配給するようにマルチプレヤーゲームを設計することで達成できる、換骨奪胎策です。オンラインマルチ型のRTAや縛りプレイに走ることでマルチプレイヤーゲームの本質=上達する、という部分とは別個のエレメントを主に実装する。本質をすり替えるわけですね(二つ挙げましたが”お祭りモノにする”とかなり近い発想ではあるw)。


とここまで書きましたが、なんだかんだ言ってゲームって楽しくやれりゃいいと思うんですよ。でもね、なかなかマルチプレイのゲーム、というものは設計がムズカシイということは上述の通りで、ある程度はお分かりいただけただろうと思うのです。梅原がなぜああ言えるかというと彼はプロゲーマだからこそ言える、そして大半はプロのゲーマではないし、なれもしないわけだ。実は梅原の言っていることってリバースして一般プレイヤーや梅原自身にふりかかってるんだよね。なかなか難しひところですが、この記事がちょっとでもゲーム制作者に機転を利かすものになっていればありがたく思います。

まぁ、そうならない可能性のほうが高いのでしょうけれども,,,(笑)。

<糸冬>