デジタル環境から蘇るボドゲ | ゲヲログ2.0

デジタル環境から蘇るボドゲ



ゲームの歴史を振り返るとボドゲはありとあらゆるデジタルゲームの発端だった。

MTGをはじめとするカードゲーの台頭においてもボード上のゲームが培った土壌が極めて重要だったのは無論のことだが、それよりも、より太古の時代から存在するTRPGは、ボードの中で我々少年少女の想像欲求を満たさんがために、その想像から自然に生まれた『仮想空間』だった。だが、ボドゲがデジタルゲームになる変遷に従って当然のように、ボドゲ自体は極端に衰退していった。若者は任天堂やSONY・MSの作ったデジタルゲームに夢中になり、その親たちは子供らの将来を案じては、当然のようにため息をついた。

なぜデジタルゲームの根本がボドゲにあるのか?っていうとその理由は至極簡単だ。ボドゲにせよデジタルゲームにせよ、根本のゲームのルール決めは、行動対象の存在及びそのアクションの数値化されたバランスによって統括される、単なるシステム系に他ならないからだ。デジタル環境においては、その統括されるシステム系を制御するための数値操作がコンピューターの作り出す乱数として、主に担われているだけである。アナログボドゲだろうがデジタルゲームだろうが、ゲーミングの根本ルールは時代が変わってもまったく同じ原理なのである。対象が他対象になんらかの影響力を定量的に行使するという根っ子にあるもの、それは時代が変わってもまったく同じなんである。

例えば、「ウイングスパン」だって「Demeo」だって、古来からあるボドゲを継承して、発展させただけであって、それが昔から存在していてもまったく疑問ではない。それこそ半世紀前から存在していてもおかしくはないものだし、太古のTRPGはその役割をしっかりと担ってきていた経緯がある。だからこそ、奈須きのこのような元来TRPGクリエイターだった人物がデジタルゲームに転向するごく自然な理由づけはあった。今でも、SteamやMetaのVRゲームにはボドゲをそのまま移植したものが多い。現在、ボドゲの評価ランクで世界一位のトップにある「Gloomhaven」のように、”システム系”がそのままデジタルに移植できるのはごく自然なことである。つまり、アナログとデジタルは『生まれきっての兄弟』なのだ。

そうを言ってしまえばそもそも、チェスだって将棋だって囲碁だってまったく同じ道理に基づいている”試行”である。これらのゲーム、つまり”試行”が、AIなどの領域で『仮想空間』においてシミュレートされ、むしろそれが逆流し、藤井君のようなAIを踏襲した上で、人間のひらめきの限界に挑む現実サイドの棋士が新たに生まれた。このようにインタラクティブな存在になったボドゲとデジタルゲームの位置する両サイドが統一されたのは、まったくまぐれでも偶然でもないのだ。繰り返すように、人間の想像が電子上の産物となり、それを統括するルール決めが、COMや機械学習を基盤とする人工知能にとって変わられただけなんである。もともとあるアイデアは人間が作った。それだけのことだ。

そういう意味で、今、一見両サイドに位置し、反意語としてとらえられがちな、アナログとデジタルというふたつの極地は同じ場に行きついているか、双方ともに影響しあって発展しているのである。

ノーサイドのホイッスルは『気づかぬうちに』既に吹かれていたわけだ。