第三に挙げられるのが、デッキ系やアクション系など元来他で使われていたゲーム性を本編に加えてしまうことです。こうすることで、そもそものジャンルのお角が違う面、すなわち本編以外の要素を組み込んでしまうことができる。そのため、意外性をPに与えることができます。ジャンルの境界をなくし、意外性を盛り込むことで、ジャンルの幅が広がり、最適解への道筋を複雑化することができるでしょう。ただ、ジャンルの境界越境を無理やりに持ち込みすぎると、ゲームそのものの設計におけるバランスが低減してしまうということも考えられます。だからゲーム内ミニゲームにジャンルの越境を抑えている事例もあります(事例:「リトルバスターズ!」)。
運要素を実装するのも重要です。いわば、見えない未来を作り出すということでしょうか。多くのPが言うようにこれはガチャ要素でもあるわけですが、前項と同じようにバランスを崩壊させない程度にダイスを実装することは、いわば合法的な賭けを再現することになりますから、ワクワク感・次に何が起こるのかという興味深さをPに提起することができる。無論、やりすぎると、ルートボックス騒動のようになりかねませんから、注意ももちろん必要とされるところでしょう(事例:「FIFA」シリーズ)。
もっともこれらのそもそもの最適解への対抗という条件は、すべてが各々完全に独立しているわけではありません。例えば、「クロノアーク」はデッキ系のアイデアをRPGに取り入れてますし、これをルートボックスといえないことも(定義によっては…)ないでしょう。なぜかというと、ゲームを買ってギャンブルをしているのは何も特定のタイトル(例えば「FIFA」シリーズ)に限って定義できることではないからです。ゲームを買ってPがプレイするということは、その時点で未来性の見えない部分にゼニを賭けているということでもあります。つまりルートボックスとは何か、という厳密な定義はできないのです。また、ルートどりを多く用意する、や、ジャンルの垣根を超えてゲーム設計する、あるいはクリアの多様性担保ということもまた、厳密に分化して定義できることではありません(例えば、「リトルバスターズ!」は野球のミニゲームを実装し、別ジャンルのルートどりも確保しつつも、さらには同じゲーム内でエンド分岐するという結末エンドまでも持っている)。これらのエレメンツはそれぞれが独立しつつも、それぞれが支えあっている概念に過ぎない…ということもまた、重要なはずです。
そうした「リトルバスターズ!」に近しいアイデアで実装されているのがゲーム「ケチャップ&マヨネーズ」の事例という見方もできそうです。意欲的に他のジャンルに手を出しながらも、全体のバランスは損なわれてはいない、そういう意味でここまでで論じてきた『多様性と分散および独立』が高いレベルで統合されている、教科書的存在だと思います。
※画像:ゲーム「ケチャップ&マヨネーズ」(Steam)より引用.