いきなり結論
まぁ『創作だ』っていうのが結論ですねw
…とその前に持論をば
てか思うんだけど、ゲームって作るのが難しいのは歴史とか広範なイメージが求められるところだと思うんだよなぁ…熱意・やる気とかそれ以前に。小学生がよく書くじゃないですか?ゲーマになりたいとかゲームクリエイターに将来なる!とか。昔っから、それって親世代の顰蹙を買ってるじゃあないですか?んじゃ、ゲームみたいな汎用性のあるものを作れるだけのそれだけの教養が君(子供)にあるんかい!っていう線で批判すりゃいいのにとも思う。まぁそれは良いとして…んで、本題に入りましょか。
ゲームと”越後屋”の関係性
「天誅」シリーズとか「龍が如く 見参!」には”越後屋”っていう悪役の商人が登場するそうです[1][2]。これね、史実では大間違いらしいです。chatGPTにも聞いてみたし、いくつかの質問サイトも見てみたけど、それら複数の検証によれば、創作に違いないそうです。今でいう三井財閥の祖先(三井高利)が呉服店を江戸時代にスタートした。これが”越後屋”の始まりなんだそうですね(当時の文化商品の最先端が呉服)。ほぼ並行して、酒場経営とか両替屋もやるようになった(これが三井系の銀行の始まりだそうです)。結果、今の財閥につながり、三井の名は江戸から現代令和に至るまで豪商・名誉であり続けているってのがほぼほぼ確定の情報みたいね[3]。ちょっと違うところがあるかもしれんけど、大体の流れ、としてはこれでいいそうです。
江戸当時”越後屋”と取引出ることは誉高き事
で、当時から、”越後屋”は江戸を代表する豪商として知られていましたし(むしろ今でも昭和の百貨店時代とか、平成令和の財閥としていいイメージですよね)、越後屋はその中でも最強の屋号であったようです。代官様は超ブラックの激務であり、悪事を働くような暇はなかなかなかったみたいですね。んで、実力(ありていに言うと”カネ”w)がある商人の中で最強の名を江戸の世に轟かせていた三井のことですから、当時から”越後屋”屋号と取引ができる、ということはかなり高位なステータスであったらしい。つまり、悪事がどーたらなどころか彼ら越後屋と取引できる身分がある、財力がある、ということは、実はとても名誉なことであったことは間違いなさそうなんですよね[4]。
なぜ”越後屋”は悪役なのか?
これじゃ記事のタイトル名に答えてないやん!って思ったあなたは間違いなく優秀なトコ突いてます。では、なぜ悪役なのか?というと…単に時代劇とかゲームネタ的に語呂が良い・響きが良く、なぜか定着してしまった…その末裔に「天誅」や「龍が如く」での表現、はたまたネタのもともとの高座の題材にされている…というだけのことみたい[5]。まぁ、これを明確に定義することはできないものの(おそらく今ニュースを賑わせている自民党の裏金問題の追及が明確にはできないのとほぼ同じようなニュアンスでしょうw)、それなりの定説として固まっている…というのが、一番ファクトに近いらしいです。では、ちょっとsourceも張っておきますね。
付記
突き詰めてファクトチェックするときりがなくどーでもいい話題wここらにしておきましょう…
[1]天誅(ゲーム) – Wikipedia(”越後屋”が悪役として描かれているとの記載有)
[2]悪代官 – Wikipedia(同じく「龍が如く」の中で悪役として描かれているとの記載有)
[3]三井グループ – Wikipedia(学生が就職したがるゴールドな就職先がズラリwさすが財閥ゥ!)
[4]【悪代官と越後屋】本当に悪人だったのか?その関係と語源(士農工商というのは嘘だとの他の情報もある)
[5]必ず時代劇の悪役商人は越後屋ですが、越後屋って何ですか?何で「越後」屋と… – Yahoo!知恵袋(語呂らしいw)