なぜ孫氏の兵法は今でも偉大か? | ゲヲログ2.0

なぜ孫氏の兵法は今でも偉大か?



孫氏の兵法は二千数百年経った今でも最先端である。各国の軍事学校でも当たり前のように読み込まされ、その内容は討論され続けている。なぜ、孫氏の兵法はこれまでに偉大なのだろうか?理由はそれほど難しくはない。

いつの時代でも戦争はローカルなガジェットによって行われており、その実務的な勝利への解は紙と鉛筆で再現可能である。よく我々は大河ドラマなど戦国時代の映像で、凸という記号で兵力を表した布陣の図を見るが、この時代から戦争の兵站の科学はまったく変わっておらず、今も昔もこの兵站学、より具体的に言うと兵棋演習は一遍も変異していない。おそらく、この孫氏の著作が一流である論拠にはこういったガジェットとしての人間性・その限界性が変わっていない点にこそあるのだろう。それはデジタルゲームにも垣間見える。

例えば、これはゲーム『Harpoon』や『Command: Modern Operations』でも同じように描かれている。そしてその同一性は、時代が変わったのにも関わらず…軍隊の編成が大きく変化していった今でも…共通項として存在する。その応用として、兵法が記号論やゲーム理論と比較されるのは当たり前のことだ。ではこれが決定的に変わり、孫氏の教えである兵法が廃れるのはいつなのだろうか?

それは、人間がガジェットである体(たい)の感覚から解き放たれた時以外はあり得ない。これは、戦争自体が無くなったとき、としばしば勘違いしがちだがそうではない。現に孫氏は「戦わずして勝利すること」が最も重要だと述べている。つまり、あくまで平和は解決の手段であり、決して人間の体(たい)の感覚からの解放ではない。勘違いしがちだが、孫氏の兵法はある種平和論でもあるわけだから、決定的にそのコア・本質が要らなくなるのは、人間の体というガジェットが人間から無くなったときだろう。そのとき人間は人間ではなく、次のポスト―ヒューマンの形を取っている。

そのことを鑑みれば、我々にとって恒久的な平和が当然の状態になり、その延長上にて人間が従来の人間から進歩・脱却したときにこそ、絶好のタイミングが来たといえるだろう。その時になってようやっと我々は孫氏の兵法と自然にオサラバできるはずだ。