序:「サバキスタン」
確かに「サバキスタン」は凄まじい漫画です。近年稀に見る傑作・稀に見るほどの出来を持った”小説的漫画”だといえる。公式は本書「サバキスタン」を”グラフィカルノベル”として標榜しています。まさしくこれはよく言ったものです。レビューの意見には、”マンガ”と単にいったほうが正しいというものがあるようですが、あたしはそうは思いません。あくまで漫画+小説として評するべき作品だと思います。
「サバキスタン」という漫画のテーマ
テーマは独裁と自由およびそこからの解放とでもいうべきでしょうか。このうち〈独裁〉が第一巻で描かれ、第二巻では〈自由〉が描かれ、第三巻では〈解放〉が描かれています。もっと言えば第一巻では”独裁と悲劇”が描かれる。そして、第二巻ではその真実を追い求める追求の様子が描かれる=つまりこれが自由…もっと言ってしまえば”良心の自由”とでもいうべきでしょうか。これがテーマになっています。そして、おしまい・完結編として第三巻が待っている、という感じです。第三巻ではありとあらゆる権力や法律からの解放=つまり”無限解放”が描かれている。これが第三巻までの大筋の流れだと感じます。
その構成的特徴
この一連の三巻の中で重要度は後編に行けば行くほど増していきます。つまり第一巻<第二巻<第三巻と物語の核心がどんどんとさらけだされていく。第一巻は、あくまで”独裁と悲劇”に徹していますが、第二巻・第三巻と進むにつれ、そのテーマ性はどんどん増していく。人間の歴史が独裁とそこからの”放逐”に徹してきたように〈自由〉とは何か?また〈自由〉を追求することとは何か?ということに物語の大きさが広がっていくんですね。また歴史が進むにつれて物語が展開していく、といういわば、ベクトルの様相がこの作品「サバキスタン」にはある。時系列は複雑にうって変わりますが、基本的に第三巻が最後尾の時系列になってて、物語は全体的にそのフローが明確。比較的読みやすい展開があると感じました。
第一巻および第二巻で描かれた点
先に書いたように第一巻はあくまで淡々としています。同時に重層的に登場人物がやりとりしていくのですが、第二巻になって物語の舞台はババっと変わる。「サバキスタン」の舞台となる国家であるサバキスタンが独裁制から解かれ、その歴史を辿ることが禁忌とされていくのですが、その様相でいわば”仔犬たち”の世代に、歴史の正統な細目が継承されていないことに一部分の生徒学生たちが気付いていくんですね。そういうように読者とともに、独裁の親玉を巡る大きな旅路がチョコチョコと描かれています。正しい歴史的解釈どころか史実すらまともに受け継がれておらず、サバキスタン、という国家はそれを禁忌とし、語り継がれない方針を社会体制として選んだ。若者はそこに大きな矛盾と探索心を覚えるわけです。ここまでが第二巻の大筋といったところでしょうか。
最重要巻である第三巻で描かれた点
そして第三巻となっている、「サバキスタン」そのフィナーレはまさしく凄まじい様相を呈しています。かつて江川卓はドストエフスキーの「罪と罰」を称し『”探偵小説”の様相まで呈している』と、この〈現代の預言書〉を評しました。まさに「サバキスタン」という小説的漫画作品もそうなっているのです。学生が感じた機敏が”自由”のありかを探るという二巻の観点ではね。そして、独裁⇛自由⇛解放…単に言うことならば簡単です。だが、そこに至るまで無限の血が流れ、その結果我々は有限たる自由を得る、否、有限たる自由しか得られない…人間の歴史を悲劇としてそう辿っているように、この犬たち”サバーカ”の様子を徹頭徹尾描いていきます。現実とはこうも酷なものか?第三巻は、舞台がなんと法廷に移る。そして、軽微な政治犯として、ある侮辱行為を働いたサバーカが裁かれていき、とうとうそこから解放されつつある様子まで描いて〆られています。
なぜ第三巻が重要か?
無論、この作品「サバキスタン」を評するのに当たり、重要なのは間違いなく第三巻です。全巻通じて物語が一様収束するのがここなんですね。侮辱罪、という法廷での裁かれ方には、過去サバキスタンが国家として歩んできた過ちが象徴として無残にも描かれます。法廷に物語の場が移ったことによって、法律の知識がなければ、この巻が精緻に読み解けないのは当然のことなんですが、その鉄則たる法とはそもそも何か?ということを間接的にサバキスタン第三巻は問うていると思います。〈法とはグレーである…〉ぶっちゃけ本書の主張はこれが主です。解説にもそうあるようにね。ただし、そういったサバクのみならずどの国家でもグレーゾーンがいやおうなしに現代の矛盾の世に現れるのに対し、新しいロジックを弾き出すことで新しい価値を昇華的に生み出す様子が描かれます。
侮辱罪から普遍的人権へ
ある侮辱罪に当たる罪をサバクの過去と照らし合わせ、問われる被告人はギリギリの極限まで追い込まれます。だが、ここでは終わらない。真実の追求・真理の追求に言葉及ぶ弁護士が新たに登場し、無罪の被告人は、自分の無罪さを見事に信じ切る様子が描画されるわけですね。つまり、世の中の体制というものは着実に一歩一歩進歩してきた。サバクのみならずどの国家にも当てはまる血の歴史があることを「サバキスタン」は追及していると思います。そして、その背後にロシアがあるか否かということは皆目見当は付きませんが(またそのように結びつける流れにはあたしは反対ですが)、そこから、普遍的かつ科学的な合理性・基本的な権利というものを信じたいサバーカの心情が頑としてあるわけです。
人間の歴史と重なる国家サバキスタン
そして、あわよくばそれが、人間の歴史と同様であってほしい、とする意欲が滲んで、この「サバキスタン」という漫画は幕を閉じる。我々は独裁に勝利できるポテンシャルを、その法たるグレーに対して示し、心理的に打ち克つわけです。そして歴史に翻弄された人々は今度はホンマの意味で解放される。グレーゾーンから解放され、仮初の自由を得ることから何か過去の禍根が明らかにされ、スポットライトが次々と当たっていく。そうしていくうちに国家という枠組みから縛られてきたサバーカや人間たちの流れが見事に表現されるのです。つまり、漫画「サバキスタン」は、独裁国家という血の歴史から学び、そこを追求するあまり、ついぞ国家の枠を超え、人間の普遍的な人権にたどり着くサバーカを描こうとしているように思えてなりません。それがたとえ、侮辱という軽微なことを媒介してであっても、です。
サバクの民=サバキスタンの描く歴史の本質
光りが当たった先に、国家という枠から超えた、人々の権利はきっとある…サバクの民は今ある日本の民とまったく同等・同じであり、またアメリカの民ともサウジの民とも重なる同じものなんです。イスラエルの民だってパレスチナの民だって同じ、どの国の民とも重なるものなんです。矛盾を歴史から紐解き、その錯誤を是正するであろう、”微細な希望”を描いた傑作フィクション漫画作品ですね。