ダイヤモンド・オンライン掲載:鈴木氏の任天堂レビューは半分はあってるのではないか? | ページ 3 | ゲヲログ2.0

ダイヤモンド・オンライン掲載:鈴木氏の任天堂レビューは半分はあってるのではないか?



任天堂が持続的に発展し経営体制を良くしてより良い形で株主に利益還元するのは、東証に上場している株式会社として当たり前の責務だ。例えば、中小企業ではそういう競争主義に徹することはあまりないと思う(それを象徴する極端な例が特例有限会社ノーツの事例だからな!)。他にも学術界のヒーローであるスティーブン・ウルフラムの経営しているウルフラム・リサーチ非公開企業だ。またValveも似たようなもので非上場企業なので、よっぽどあさってのことが起こらない限り、ノーツもウルフラム・リサーチもValveも他社によって買収はできないわけだ(反面、MSが任天堂を買収するのではないか?という憶測が市場でしばし流れたことがあるのは有名…)。

ということで、資本的な問題・経営哲学の問題・経営思想の問題、こういった多面的な問題に任天堂がどう答えるか?どこを任天堂の目的としているのか?ということにコトの問題は集約される。むしろ鈴木氏が言いたかったことはこちらではないのか?象徴的なことに孫正義がNTTに携帯事業で喧嘩ふっかけたことが想起される。これもまた、ソフトバンク、という企業集合体の目的が問われているからこそ、孫がどう舵を切るか、かって問われた課題だっただろうし、今、ソフバンが現在進行形で問われている課題な気はする。

そして、題に上がっているプラットフォームという問題はその最中にある、いわば哲学的な問題に近い。ここを、ある※は指摘し、鈴木氏がここ(すなわちマルチプラットフォームの課題・問題)を突いていることが任天堂に至っては”痛い”のではないか?とするものもあった。本質的な問題は、プラットフォームの垣根を超える、いわばボーダーレスな経営が求められてきていることについてなのに、任天堂の苦境はここにあるのではないか?という指摘である。

例えば、ハードウェア上のグラフィカルな訴求力の問題はなかなか任天堂自体が解決できないという指摘の※もあった。だが、任天堂はSwitchの開発に当たっては、技術面でNVIDIAと関連が深かったり、あるいはそれこそスマホゲーも出してたりと色々をこの”痛めの勘所”をカバーリングする姿勢を最近見せているとあたしは思う。だから、ただひとつ明らかなことがある。

おそらく、任天堂は過去の失策に常に学んでいる。
そして、この和製企業は二度その轍を踏むほど馬鹿ではないはずだ。