北斗の拳”南斗水鳥拳のレイ” | ゲヲログ2.0

北斗の拳”南斗水鳥拳のレイ”



昔作家の仁木が言ってたんですけど、仁木は幼少期にこの巻に収録されているレイのエピソードを見て泣いたことがあったらしいですね。仁木は信州大学を出て作家やりながら坊さんもやって私塾もやってるっていうすごく器用で優秀なかたで、子供のころ初めて、このエピソードを読んだらしいです。その時に仁木は、自分の劣等感とあわせてレイの死を悲しんで号泣したそうです。ただし、仁木の評論はすごいものでこれだけじゃありません。仁木が人生の段階を踏んでステージを駆け上がっていった先にやっぱりこの漫画のレイのエピソードについて再考するべきものがあると確信したそうです。それがなんだったのか?

仁木は人生において苦しいことや悲しいこと、そしてそれを乗り越える勇気が必要だということをよくよくわかってきた。苦悩もまたその通りにあるべきだとしたようです。そして、大人になった時にこの漫画のレイに学んだことがある、といいます。それが義星の役割だった。男として一人の女性を愛し、そのひとのことを思いながら、決してかなわない敵すなわちラオウ、拳王に定められた死の期限をしっかりと果たして堂々と死んでいくその様子が美しく、その光景にこそ泣いていた自分がいる…そう確信したそうです。そして、これはすごい文章を書くなと仁木の読売の漫画書評欄に感心した俺自身がいるわけです。仁木は言います。「大人のように生きれない自分がいると感じるとき、いつでもレイの美しい水鳥の拳法の立ち姿その背中が脳裏をよぎる」と。

そして最後の敵にユダを選んでラオウによる宿死に瀕するのですが、彼、すなわちレイの死は無駄ではなかった。レイの死後にひとりの自分の思い人だった女性の視界から、死の宿星である死兆星が消えるんですね。レイの死は残酷さ・卑劣さに対する怒りそして潔さ・義のこころとともにありながらにして、一人の女性の生命を、その死でもってして代償として救うわけでもあるのです。「死兆星がその身に降りかかるまで女の幸福を求めて生きろ。毎日を懸命に女として生きろ」そう言い残してレイは死んでいく。

レイが言ったようにそういう意味で女は男なんですよね。そして男は女でもある。それは女が女だからというわけではない。男が男だからというわけでもないのです。女性だって勇気をもてば男性になれるんですよね。男性は繊細さをもてば女性になれる。これが本来の男女平等っていうことの意味だと思います。人間は理性によって超人になれる。誰もがです。

北斗七星の脇に輝いた星は死をつかさどる星、死兆星ではなかった。一人の男が一人の女の命を救った、希望の星だったのです。仁木のいうようにやっぱレイはスター・ヒーローです。おそらくレイの宿星は義星だけでなかったように思えます。彼の見た「希望の星」、それは一瞬だけ小さくとも、力強く閃光のように輝いた、スーパースターだった…たしかに、誰もが彼のように生きることは出来ないだろう、だが彼のように生きたいと願い彼に近づけるように心がけることはできる。そういう意味でレイは、人類にその可能性を託してくれたように思えるのです。