これは『格差と暴力・宿命と涙の物語』【Arcane(アーケイン)】~シーズン1総括 | ページ 2 | ゲヲログ2.0

これは『格差と暴力・宿命と涙の物語』【Arcane(アーケイン)】~シーズン1総括



他方、アニメ…というか映像全体としてのアーケインは、日本ではあまり馴染みのない作風だとも思う。これはアニメというより映画に近い。しかも、これはどっちかといえば間違いなく邦画を基礎としたものでもない。誤解を承知で言えいえば、アーケインは洋画、それも現代の洋画なのである。例えば、物語の進む方向を見ればそれは一目瞭然だ。明確なストーリーラインがなく、複雑な登場人物の関係性を基軸にしているので、ぶっちゃけ理解しにくい。SWの比ではないぐらい複雑怪奇なストーリーラインを持っているといっても過言ではない。

世間の映画論評では、邦画は内面を描き、洋画は外面を描く、とよくいうが、これは現代のコンプレクスな映画評論においてはむしろ大きな誤りである。アーケインを見れば腑に落ちるが、真のところを言えば、この関係性は現代映画において逆転しており、今時の洋画は人物の内面を描きすぎるほど描いている。ストーリーラインの定評もまた、一般的な映画評論は現代には通じるものがないほど違っている。邦画はねっとりした内面を描くがためそのストーリーが複雑化しているのではなく、むしろ現代において、その役割としてこれは洋画が主として担っている局面である。それも洋画の良いところと邦画の良いところをうまく混ぜることで、洋画+邦画=現代の洋画になっていることをアーケインは証明しているように感じる。

要するに、洋画は単純明快で勧善懲悪だと思われてきたが、邦画の影響や別圏の映像表現の影響を受けて、より巧妙にストーリーを作るようになってきたことをアーケインは証明しているのである。例えば、ケイトリンがヴァイやジンクスと中に割って入るシーンにそれが象徴されている。そして、それはゾウン側が主体としているものなだけでない。二つの世界において、その関係性は双頭となっていて、現代の戦争に近いぐらいのリアルさがこのアーケインという映像表現にはある。

その証拠に、ゾウンと対となるピルトーヴァー側にも政治体制の現代的な変遷があり、そこに兵器を扱う協議会的指導者が存在する。それも一枚岩ではない指導層がいる。へクスコアの軍事利用などのテーマは、まさに現代の複雑化した軍産社会を名目に取ったものとして取り上げても矛盾がなく、むしろ現実の先の先を行き過ぎている…といっても過言ではないほどのリアリティがある。これではいくら頑張っても邦画に生き残る道はないのだ。それほど画期的な映像作品である。だからこそ小島秀夫もアーケインを絶賛しこう言っているのだ。

Netflixでアーケインを9話まで見終わったが、これは凄い!このアニメを見たからにはほかのCGアニメはしばらくの間見れない。二つの世界を巡る、暴力の物語だ。

~小島秀夫のtweetより抄訳~

また、アーケイン自身が、そうした映像表現として合間合間から完全に離陸し飛び立っているものでもあり、原作にまったく忖度しないで作ったオリジナルストーリーの描画に徹したこと、ここも評価すべき点だ。LoLのファンもLoLをまったくプレイしない筆者のようなファンも骨の髄まで楽しめる映像作品に仕上がっている。


物語はまだ続く。ジンクスの歩みが、彼女の賭した運命がまだ続くように…