Netflixでいまさら映画版「BLAME!」を見たので低能が頑張ってそのレビューをしてみる | ゲヲログ2.0

Netflixでいまさら映画版「BLAME!」を見たので低能が頑張ってそのレビューをしてみる



かの新海誠をして絶賛させた映画版「BLAME!」をNetflixで先日見直した。
原作は映像化不可能とも称された弐瓶勉による傑作サイバーパンク&ハードSF漫画。

ストーリー

建設者が超構造体と呼ばれる建造物を作り続ける近未来が舞台。かつてシステムの統合機構としてネットスフィアが正常に機能していた時、人類は繁栄していた。だが、ネット端末遺伝子と呼ばれるネットスフィアとの調合機能を失った人類は、ネットスフィアの排除機構であるセーフガードに追いやられる状況にある。人類の生き残りは限定的にセーフガードの影響には及ばない塗布防電によって守られた集落に住み、限界極まる状況で暮らしていた。物語は、尽き欠けた食料(ドロドロ)を探し求めて外界に出かけた少年少女たちが霧亥と出会うところから始まる。その霧亥の目的はネット端末遺伝子を探すことだった。霧亥のおかげで、実は人間の住む集落にある塗布防電を作ったのは、太古人類が繁栄していた時の科学者シボだということが判明する。シボがネット端末遺伝子の代わりとなる偽装端末の製作を霧亥に提案。これに乗った霧亥はシボと共闘する。シボは偽装端末を手にネットスフィアへの干渉を図るが、交渉は結果的に集落に住む人類を安全なエリア(廃棄階層)に移動させることを許可してもらうにとどまる(正確に言うと廃棄階層の座標を教えてもらうにとどまる)。霧亥は本物のネット端末遺伝子を探す旅を続け、生き残った人類は安全な廃棄階層に転居し、両者の運命はここで分かれる。まぁこんなところか。

良かった点

まず105分という限定された時間内で「BLAME!」の構造をしっかりと描き切った点が高く評価できる。これまで「BLAME!」はそのOVAも含めて、ダメな映像化作品が際立って悪評だった。というのも、「BLAME!」自体漫画が主で、映像表現には適してない種類の表現が多用されているから。例えば、漫画ではコミック特有の自由な描画が強く、映像表現という”まとまった矛盾のない結果”が求められる表現ではできることが限られてるってのはやはりある。そういう中で、超構造体と建設者は舞台の描画に徹して登場させて、シンプルにネットスフィアとセーフガードとの闘いに人類と霧亥&シボをからめたところが映画版のまとまり・出来具合を高めている。事実上「BLAME!」の映像化作品のうちで、最初にかつ最も成功した映像作品と言っていいだろうな~。

また生き残りの人類である棟梁やヅルたちがサバイブする様子もごく自然に描かれているのも評価できる。食料の欠乏・限られたコミュニティの中で生きる末尾的な人類の様子がリアルに描かれていて、SF作品なのにも関わらず現実性がある。ネットスフィアとセーフガードが、生き残った人類と対立する構図も単純で良い。ぶっ飛んでいるサイバーパンク的な抽象的な物言いに終せず、限りなく無駄は排除している。だから、サイバーパンクなのにそれを独自のハードSFの観点から再解釈したという、原作「BLAME!」が出来ていた点を映像として称揚させることにも成功している。映像化したからこそできる点を一通り抑えていて、全体像が極めてコンパクトにまとまっているので、映像化してとても成功した稀有な事例にもなってると思った。近年中でここまで映像化がムズカシイと言われた作品をアニメーションに落とし込み成功させた事例は稀に見ることだと思う。

もちろん、ACTシーンもすごくよく出来ている。霧亥の持つ最強の武器、重力子放射線射出装置の強さも映像化したからこそ原作でできない点を表現できているし、漫画では到底できない動的な迫力がある。何もこれは霧亥だけに限らず、例えば、造換塔がセーフガードを基底現実に召還するシーンや、そもそもセーフガードのホモォみたいな動きとかまでもうまく映像化表現できてる。特に、セーフガードの機械的な動きと、ヅルたち人間の動く生物的な動きが両立していて、両者が面白いほどバランスを取っている。自動工場のギミックシーンとかもSFの良い点をうまく凝縮しアニメに落とし込んでる。また、アニメゆえのMR(ミックスドリアリティ)の表現にも優れてて、数回見直してやっと発見する点も多々ある。飽きさせないようにかな~り工夫されているね。

悪かった点

まぁこれは悪かった点、というよりかは限られた時間内での映像化をしたからこそわざと外したんだろうけど、珪素生物もドモチェフスキーも出てこない。ダフィネルリンベガももちろん出てこない。だから原作にある三途の川と統治局との交渉もまったくない。サイバーパンク風味としてはシボとネットスフィアの交渉シーンがあるぐらいで、SF的な深みはない。ハードSFとしてもその特徴を感じるのは、それぞれヅルとセーフガードの戦闘シーン・霧亥とセーフガードの戦闘シーン・霧亥とサナカンの戦闘シーンぐらいで、珪素生物や原作ではかなり描いていたメンサーブ・セウの連合軍の描画もまったくない。けれども、ここらはスタッフも批判されても仕方がないと思って作っているはず。いわば映像化するにあたって”無駄”はかなり省いている方。


他にも東亜重工の存在とかなんとかいろいろと批判できる点はある。特に感じたのは終わりの方で廃棄階層に行った人類のその後の描き方が限られているとか。でもスタッフは、本来映像化できないと評されることが多かった原作をモチーフにして、できることをできる限り100%やってくれた。だからこそ、高い完成度になってる。無駄は極力排除し、105分という限定的な時間内で、表現できることはすべてつぎ込んでくれたからこそ、弐瓶勉の世界観がここまでのレベルにひき上げられた。「BLAME!」史上どころか弐瓶勉の漫画の映像化に初成功した定本になっている出来。今後も弐瓶ワールドを映像化して描くにあたっては、こういったノウハウが生きてくるんじゃあないかな、と思わされた。