なぜ女性のプロゲーマーは少ないのか? | ゲヲログ2.0

なぜ女性のプロゲーマーは少ないのか?



これについてはね、Xユーザーの”ただの社会人”さんというかたがXポストで提起していて、そのうちどれもが合理的なものになっている。あくまで説ですがね。ですが、こうした説を科学的に検証しようとすることは難しい…例えば、W杯で男子選手のほうが女子選手よりも待遇が良いのは当然のこと(というか興行的なバイアスが男子選手のほうに強いという意味で…ですが)であって、非常に難しい科学社会的な論議のカテゴリーの問題なんだと思うんですよ。…というのは簡単なので、まず同氏のポストを見てみて、検証してみたいと思います。

1)女性がプロゲーマーになりたがらない説

これは事実あると思います。例えば、業界が別であっても参考になる面は多々あります。女流棋士、になりたがる女性はぶっちゃけ少ないですよね、男性棋士は多くても。つまり、科学社会的なバイアスがあるんですよ。この問題は社会・政治的な問題だ、とする論理もありますが、そこまでは言い切れません。最近では、社会的な課題に科学的な論理を用いようとする試みも数多くありますから(脳神経経済などの文理融合分野)。そして、そういった試みは文系のデータ統計家の論理と重なるケースが、間違いなく多いです。だからこそここではあえて、科学社会的な、という前置きを敷いているんです。これが、女性のプロゲーマーが少なり理由を紐解くうえでの一番のキーワードだ、と思います。

2)業界が女性のプロゲーマーを入れないようにしている説

これもあると思います。つか、理由・原因は1と同じです。バイアスとか科学社会的な見地からして、こういったことはある。内圧と外圧の違いはあれども、根源的な理由は同じです。ぶっちゃけそれ以上のことはありません(ので2についてはこれ以上書かない…)。

3)女性のプロゲーマーはいるが目立っていない説

これは昨今かなり低減されてきている問題だと思います。たしかに賞金とか注目度では男子が表立ってますが、女性の社会進出はやはり時代の進歩とともにあって、社会は性差別に対してかなり厳しくなってきている。差別だ、とする論理は少なくとも表面上のポリコレ的な意味合いでは妥当な論理です。だから、目立っていない、というのは最近になってかな~り低減されてきていると思う。だが、目立っていたとしても⇒同じバイアスとして男子選手と同格に扱われる、ということはまだまだない…残念ですが、これがミソですね。

4)女性の身体的特徴がプロゲーマーに不利な形になっている

これも最近かなり低減されてきていると思います。対外的な外見で差別するということは、やはり非合理的な差別であって、女性が社会で進出するうえで、身体的差別はあってはならない、とする理想的な道筋はやはり昨今注目されつつある。社会はそれだけ進歩しているのです。表面上、退化しているとか文化的な低俗さが表れている、とか言う評論家は多いですが、トッドピンカーも言うように社会文明は進歩している。その中で、差別否定が徹底…はされておらずとも、やはりダメなんですよ!っていう風土が生まれつつあることはビリビリ最近感じるじゃないですか。そういうことなんですよ。

5)[その他の説]

これはね、『ああこれだな』って思ったのは確かにありますよ。そのうちの一つが女性特有の課題(問題ではない)です。例えば、出産や育児・家事などどっちかというと、上述の科学社会、というよりの面かは、文化社会的な見地の方面の知見もまた重要かと思うんですよ。こういう事例は科学社会という意味ではなく、文化社会、どっちかというと文系の論理においてそうである、とする論理は別筋であっていいんじゃあないか?もっともっと、プライベートレベルでの問題、というのはやはり否定はできない面もあると思うんです。それこそ、差別的だと言われればそれまでですがね。


というわけでどうでしょう。まとめて考えてみると、科学社会とかバイアスとか文化社会っていう言葉が見事に踊っていはしますが、結局のところ、時代が進歩して文化文明が進んでいる、ということは、これ即ち女性の社会進出が進み、理性が性差を克服できるということに他なりませんから、あたしは『女性のプロゲーマーは増えて男性のプロゲーマと均衡していく』と希望的に見ています。識字率が上がり受胎調整が進む。女性の進学率が上がり大学院などの高学歴社会が到来するのは避けられない。出生率は当然下がりますが、それはまた別の問題…それこそ(皮肉ですが…)社会的な問題になっていくことでしょうね。

<糸冬>