半年ほど前に『EV化でレーシングシーンはオワタ/(^o^)\になるのか?』ということをfameに検証・執筆してもらったゲヲログ2.0の記事に、とあるツイートがついて回っている。非常に興味深い示唆を与えてくれているツイートが寄せられているのだ。
https://t.co/ccGRezNPjX
— ビッグソルトHey八郎 (@Jon_Smiss) August 21, 2022
馬での移動は現代じゃ完全にオワコンだけど
競技としての馬術やレースとしての競馬は残ってるんでレーシングゲームも消えはしないと思う。
マイナージャンルにはなるかも知れんが。
ビッグソルトHey八郎というツイート主名で記事をツイートしてもらったのだが、これで本質は見極めにくくなった、と言っていいだろう。結果論だが、複雑な論になってしまったので、八郎さんによる論点を軽ーくまとめてみよう。
・馬による移動はオワタ/(^o^)\が競技としての馬術は終わっていない。
・レーシングゲームはこれと同様EV化でオワタにはならない。
・ただレーシングゲームというジャンルがマイナージャンル化する恐れはある。
ただし、このツイートは肝要な点を加味していないのではないか?というのがあたしの意見だ。それは、馬による移動・馬術はともに環境にとってクリーンな(温室効果ガスを出さない)古典的なツールを駆使した概念であるのに対し、EV化以前の車は環境にとってクリーンでない(温室効果ガスを出す)工業・人工的なツールである、という対比をこのツイート主(八郎氏)が忘れている点だ。これはプラグマティックに言って、言語的かつ存在的な定義が求められるところなので、そういったオカタイ話はあえて避けるが、よーするにこういうことだ。
・馬は自然発生した生物であるのに対し、車は文明の利器であり発明物である。
馬術と現代のカーレース(およびそのコンテンツ)を比較するに当たって、その駆使するツールの生物性と発明物性、および、存在的な概念と物そのものというコントラストを加味しないといけないのは当然のことなはず。当のツイートは良いところを突いてきたとあたし自身思うが、それほど情勢は見極めやすいものではないのだ。