インディーゲーコンポーザDavi Vascから学ぶ、洋楽やゲーム音楽にリソースの枯渇がないのはなぜか?ということ | ゲヲログ2.0

インディーゲーコンポーザDavi Vascから学ぶ、洋楽やゲーム音楽にリソースの枯渇がないのはなぜか?ということ



Game Composer Breaks Down OWEN WAS HER from TOUHOU – YouTube

今回は、なぜ洋楽やゲーム音楽(およびアニソン)にはその音的な根源・リソースの枯渇がないのか?ということを考えたのでそれについてつらつらと述べてみる。そもそもなぜ、こんな話をしているのか?というとこの動画を見て、ショックを受けたからだ。どうやら、この動画の原投稿主のお方:Davi Vascさんは、インディーポケモンライクゲー「Coromon」(結構な良作として評価されている)のコンポーザ担当の音楽屋らしい。

このVascさんが凄く頭いいのはあたしのようなノータリンでもよくわかる。例えば、拍子や調の把握ぐらいはトシロウでも出来ても、普通ここまで洞察力を深くしてゲームキャラクターに関する考察が出来るのはあり得ないことだからだ。しかも、Vascはテーマ音楽だけからそれを読み取っているのだ。彼は手がかりが少ない音楽リソースのコード進行から、東方音楽の持つ意外性=逆のコード配置に関して綿密に読み取っている。アンテが東方とお互いに音的に影響を及ぼし合っていることはゲームの巷では有名だが、これもまた彼の証言の通り、事実と合致している。

洋楽やゲーム音楽のリソースがあまり尽きないのはこの意外なポイントにあるとあたしは思う。つまり、邦楽のような限定的な歌唱の制作論とは違って、これらのジャンル(洋楽・ゲーム音楽・果てはアニソンまで)は音楽の新しい方向を向き続けているのだ。そしてその根源となる基礎コードの進行方法、という大局的なポイントは同じ要素でも、邦楽のような限定的でありきたりな表現方法とは毛色違っている方向を向いているのである。

例えば、このことは同動画内でもVascによって述べられている。ハッピーとかアンハッピー・幸福なコードとか不幸なコードというものが確かに理論的にも経験的にも存在するのだ。そして、その音的なコードの中身は、やはり欧米人や東洋人の垣根を超えて、不安的なものを感じさせる和音(コード)もあれば、葛藤や戦慄といったものを感じさせる和音もある。驚くべきことだが、この垣根は(先に述べたように)人種や肌の色を超えて、人間の元来持ちうる心理的な共通項(これが英単語でいうVibe [和訳:雰囲気] というものらしい)なんである。

そしてその機敏がさらに音的に組み合わせ(シーケンシング)されることで、無限の表現力が生まれている、ということをVascは動画内で語る。それはタイミングを遅らせたり早めたり(シンコペーション)、さらにはベーシングによって音楽の”補助”をすることで工夫されている以前に、心理学的なシーケンスによって工夫が凝らされているのだ。まさに、二重三重の罠のような要素がこれらの音楽ジャンルにはあるんだね。

さて、さらにひとつ明らかになったこともある。それが、ゲームコンポーザは勉強し続けないとトレンド・時代の流れに追いつけない事態になるということだろう。単に演奏を再現するために、耳コピするだけではゲームコンポーザは務まらないのだ。ゲーム音楽の魔境にはこうした秘密があることがこの動画からよくよくわかる。圧倒的洞察力と機敏な音響心理学的な知性を兼ね備えたものだけが一流のコンポーザになれることがよくわかるのだ。これにモダンな音響技術のエンジニアリングが備わったときにはじめて…きっと、古代祐三のような天才が現れるのだろうな。