あたしの尊敬する医師・鎌田實先生は東京医科歯科大学のご出身です。非常に貧しい家庭で育ち、それでも逆境を跳ねのけて臨床医の分野でしっかりと実績を積み、しかもその後も医師としておごることなく、真摯に職務に向き合う姿勢は本当に尊敬すべきことと思います。鎌田先生は実の父に育てられたわけではなく、養父に育てられた。これは、そんなある養父と養子、その物語です。
鎌田先生は、若いころ、大学に進学し、医師になりたいという夢を持っていました。もっとも、鎌田先生はこう述懐しておられです。『自分は運が良かった』と。というのも鎌田先生の家では、度々大学生が家庭教師替わりに出入りしていたっていうんですね。そうして大学生に勉強のやり方の基礎を学び、それを会得されたというのです。頃合いが深まったころ、大学に行って医師になりたいと、岩次郎という名の自分の養父にその旨を伝えた。すると養父は『進学はダメだ』と伝えられます。鎌田先生はその時ふっとして、岩次郎さんを手にかけようとしたそうです。そうしてから、二人は(特に鎌田先生は)自分の愚かさに気付き、二人で共に泣き崩れたそうです。岩次郎さんは言いました。『授業料は出せないが、行きたいなら行けばよい』『だが、どんな時も我が家のような貧しい家庭に尽くせる医者になれ』と。こうして鎌田先生は医科歯科大学の医学部に合格された。
当時の国立大学の学費が安かったとは言えども、この逆境を乗り越える姿勢に学ぶことは多いと思います。しかも、医学部の倍率は40倍もある。40人受けて1人受かるかどうか、です。その上、都内の公立校が日本一の学校群だったころの話、受験勉強はほぼその精鋭(もしくはそれと同等の)40人がライバル。そのうちのたった一人が合格できるわけです。合格に至る努力もすさまじかっただろうですけど、合格後、国家資格の医師免許を持ってからも、僻地である長野の病院を再建したり、戦争で荒廃したイラクなどで医師として懸命に活躍しているさまに、学ぶところは大きいはずです。
この話は今も我々に教えてくれているのでしょう。