金剛は思う。自分への命令に従っただけだ。命令はこうだった。「雷撃攻撃を被弾してもなお、前進せよ」と。潜水攻撃にまさかしてやられるとは思って見やしなかった。ほとんどの戦闘艦の大破は多くの場合戦艦同士の攻撃戦によるものだったはずだ。航空機爆撃にも対応は可能であるはずだった。だが、まさか雷撃とは思いもしなかった。
戦闘での艦砲射撃には誰よりも自信があった。自ら頼むところすくなく、自立した精神を持て。建造主はエゲレス・グリニッジで造艦を学んだ近藤によるものだ。金剛は自分のことを設計した近藤を心から尊敬していた。ただ消えゆく命は海軍の神社の中でも御霊として祭られる。自分がやられてもそれは同じだ。故郷に帰ることができる誇りをもって。魂として。仲間と一緒に戦った記憶が断続的に鏡のように映される。
「金剛雷撃被弾…金剛雷撃被弾…」
あと私の命は一時間もつだろうか?このまま被弾してもなお、進めと言われても。金剛は臆病な自尊心があった。いくつもの増改修を得て、第一次大戦から続く砲撃攻撃を主体とする戦艦。第一次大戦の経験として、現存するもっとも古い形の戦艦として、建前の誇りはあった。ひとなみに。ただ、自分の艦としての命が途絶えるかもしれないという大きな予感をもって、前進を進める。古めかしいタービンを回して、前進を。ただただ前進を。
「金剛前進せよ…金剛前進せよ…」
あと一分もてるだろうか?このままであと一分もつだろうか?だんだん機能が壊れゆくことを感じて。海軍港を出港、あるいはグリニッジで進水式をしたとき、みなが心から祝ってくれたことを走馬灯のように思い出す。軍人として誇りある生命をまっとうせよという言葉を。
「金剛出港…金剛出港…」
先の大戦では大きな経験をもった。先輩がいくつも被弾し、つぶれひしゃげた悲しみも受け継いだ。その荒波をかき分けいまでも生命を持ちえた自分を独善的とはいえど、誇りでもってして進もうとしている。だが精神力がとうとう途絶える時が来たのか。 浸水は限界に達しようとしている。どうやら私の命は終わろうとしている。
「金剛浸水…金剛浸水…」
ただ前進を求め、もうちょっとでも。不可能であっても、一生懸命にもがく。水をきるように、海をかけるように、改修された蒸気式タービンを回し続けて、全速力でつききったころの自分がいたのは過去のこと。
それでも私は…前に進む…
金剛は、たった80年後、自分がまさか「イージス」として生まれ変わろうとしていることをいまだ知らない。大戦を経て、たった80年後「神の盾」として生まれ変わる自分。それは金剛の魂がまたたび形を変えて、さまざまな事情を経て、復活した瞬間そのものであった。
「誇りと先人たちから受け継いだ名誉を捨てないで良かった…」
いまならそう思えるのではないだろうか?