【連載:サルでもわかる漫画レビュー】「SPY×FAMILY」【縮約の平和と仮初の家族の物語】 | ゲヲログ2.0

【連載:サルでもわかる漫画レビュー】「SPY×FAMILY」【縮約の平和と仮初の家族の物語】

『孤児院にいた経緯は分からんが、こいつの実の親はおそらくもう…』
大粒の涙を流すアーニャの心に揺さぶられたとき、ロイドは”父”になるのだ。

『ちち、と、はは…いちゃいちゃ…』
そのアーニャのことばにこそ、本来の純なる家族の見識を取り戻すための、
偉大な子供の力があるのだと俺自身は思えてなりません。
~本文より~

※画像はNetflixより引用させていただきました。
「SPY×FAMILY」という漫画のふたつの主題

たしかに「SPY×FAMILY」は面白いです。小説版も出ていて、既刊9巻に過ぎないのに、アニメ化が決まり放映され、こちらも大成功。加えてファンブック・アートブックのようなものまで出ているようです。俺も当初はあまり好みの作画ではなかったことから避けてた漫画でしたが、アニメ版を見てこちらの本巻のほうを買いました。結論から言うと、素晴らしい漫画です。思うに、この漫画「SPY×FAMILY」はふたつの主題を持っているのだと俺なりに思っています。まず【縮約の平和】という主題、次に【仮初の家族】というふたつめの主題です。

ひとつめの主題【縮約の平和】

まず、ロイドやヨルは平和のために動くという名目ある動機づけを持っています。ロイドはスパイとして世界のバランスオブパワーを保つため動き、ヨルは暗殺者として動く。この二人の夫婦は、あくまで大人の世界のダイナミズムの中で平和を希求する密偵たちですね。だからこそ、本作ではロイドもヨルも”大人の世界の中の人間”であり、本来、家族を持とうとするような人物ではなかった。ぶっちゃけていえば、かなりの危険人物です。だからこそ、まず彼らの目標は第一に【縮約の平和】ですね。

【縮約の平和】の持つ脆さ

この【縮約の平和】という言葉は、あくまでありていな平和の形態を表しているように思います。平和はあくまで一時的なものであり、いずれ不安定さが世界の政治・経済・人物間の実像の面から呈してしまい、その平和の形はしばし脆くなりがちなのです。つまり平和のありかたは常々実際の我々の世の中と同じく現実的には、空想的であり夢想的ですらあるのですね。その中で、なんとか平和というものを作り、”守る”とまではいかないまでも、”なるべく壊れないようにする”という極めてポストモダンに近い、21世紀流の平和の世界がこの漫画の中では描かれる。この第一の側面から言えば、いわば「SPY×FAMILY」だって、ゴルゴの現代版です。【縮約の平和】というものには一切の感情はなく、第一段階にしてみればゴルゴ的な世界の動きが練りこまれているに過ぎません。

主題の遷移

そういう意味で、しばしば戦争になりがち、小粒な小競り合いは多く存在し頻発・散発していて、先に書いたようにバランスオブパワーという話の内枠に収まりがちな情勢が描かれる。大きな紛争を描くのではなく、それを予防し誘発しかねない力に対する対抗のため、ロイドもヨルも動く…というのがストーリーの本筋であり、ほぼそれだけが実際の彼らの世の中に対する理解示せる限度・実行力の限界です。こういう意味で、彼らロイドとヨルは物語の定型枠に収まってしまっていて、本来のあるべき大切な”家族”というものとは基本的には無縁なはずなんですね。だから彼らの家族像はあくまで【仮初の家族】なのです。ですが、アーニャという里子が加わって、仮初ながら家族が一様出来上がる。ここに至って、ロイドとヨルの平和論は実際の抽象系から実存系に遷移していくわけです。

ふたつめの主題【仮初の家族】

現に物語しょっぱなから、アーニャは登場しますよね。つまり、ロイドという人物のみならず、子供(里子)を任務上引き受け、そうした家族像のありかたの探索という面で、ミッションに沿ってヨルという妻も持つ。これは実際の話の筋とは逆のベクトルに沿っていると思います。本来ならば、まずは妻を持ち、子供を持つ…現実的にはあたりまえのステージの進行の形ですが、その”家族”は当然元来あっていい家族ではなく、むしろあってはならない家族です。だって、スパイが父・妻が暗殺者です。あってはならないどころか、ありえない家族です。でもそれが漫画の中で存在しているということは、その家族像が非常に綱渡り的で不安定であり、【仮初の家族】であるということの実存的証明になっていると思います。物語の売り文句が、『スパイの夫』『エスパーの里子』そして『暗殺者の妻』ですからねw…ありえなさがありえる家族像を作っていく…次第にです。ここでもまた、マクロ的な平和論と同様、抽象系から実存系へとの家族の形の遷移が見て取れます。ロイドとヨルの平和の進展は、アーニャという貰い子を受け、抽象系から実存系へと遷移するわけです。あくまで結果論ですが、家族の形を希求するうえで、平和の希求にもなっている。

漫画「SPY×FAMILY」にある『不都合な真実』

この漫画は、そうしたように現実的平和、つまり【縮約の平和】とつながる【仮初の家族】という同様に動くスキームの、細やかに違っている部分・すなわち、ギャップを楽しむ痛快なファミリーコメディーだと思います。物語の流れとしてはこのあたりで大方収束していて、本来のスパイ・本来の暗殺者としてはあまりにも、現実に即してみると極めて不合格です。ちょっと偏見ですが、少年ジャンプ+で連載されているのも納得のいく漫画ですよね。ですが、その不自然さ・偏見の話が実際、話の第一話から~序盤で、すぐにアーニャという里子をもらい受け、次にヨルという妻をもらい受けるという形で、シームレスにつながっている。『不都合な真実』とは史実においては米合衆国副大統領のアル・ゴアがよくいったものですが、この「SPY×FAMILY」での現実的にありえないリアリティは、そこを補するように想像力で描くという局面に至り、ゴアの論理と同じ運命をたどっているのではないか。彼らの不都合な職種(スパイ&暗殺者)とは事実・真実という家族の形で紡ぎ繋がれ作られるわけです。

結論

そうした経緯を経て、不都合な真実…つまり不都合なスパイと暗殺者(という職域)による、家族という真実の人間の繋がれ方へ辿る、というフローのある物語になっている。ここらのフローへの光のあて具合にこそ、「SPY×FAMILY」という漫画の真骨頂がある気がしてなりません。さらに突っ込んで言うと、アニメ版では映像でこそ作ることのできる表現が多く含まれており、漫画版との対比もかなり深くできそうです。

『ちち、と、はは…いちゃいちゃ…』

そのアーニャのことばにこそ、本来の純なる家族の見識を取り戻すための、
偉大な子供の力があるのだと俺自身は思えてなりません。

<了>