よつばと15巻『普通という奇跡』 | ゲヲログ2.0

よつばと15巻『普通という奇跡』

数カ月前「よつばと」の15巻を買った。ほかの本屋では売り切れてたけど、ワングーには売ってた。”やっぱワングーわかってる”って思った。ワングーならばあるだろうと勘を頼りに、国道沿い50分自転車をこいで必死になって探したかいがあった。平積みにされて残ってたから、ひとつ買って帰ってきた。

あたしの場合、小説や漫画を買ったその日に読むことはほとんどない。小説ならばじっくり寝かせてから、タイミングが来た!って直観があったとき一気に読む。漫画ならばじっくり読む、当然小説よりも漫画は読むのに時間がかからないため、じっくり寝かせてからこれは読める!というタイミングで読む。オタク的コアな読み方だと自分でも思う。今日、「よつばと」の15巻を読む気になったのは、ある競泳選手が『当たり前のことに感謝を』とテレビのインタビューで述べていたからだ。相変わらず遅いテンポで日常が描かれていた。人間味のある、どうとも表現しがたい日常系の漫画にも分類されるけど、それだけでは見て取れない、『普通という奇跡』が描かれているのは変わっていない(このフレーズは帯についてたものを拝借しただけである)。

帯の裏にはこう書かれている。『変わる時代。変わらない毎日。長く、広く、読み継がれて18周年』と。様々な国の言語に翻訳され、国境を越えている漫画だという。時代のスパンで見ればたしかに移り変わっていくが、人間が人間であれる限り、毎日はよつばとおなじように変わっていない。そうしていくうちに去り・消え・死に・託していく。とうちゃんからよつばに、よつばからさらに下の世代へと。

テレビをつけると、今日は長崎原爆の日らしい。三日前は、広島原爆の日だ。我々は日常をよつばと同じように同じテンポで『毎日』として生きている。被爆者が見た『地獄』、よつばが見たそして私たちが見ている普通の日々…それは『平和』と言ってもいいかもしれない。二つは相対するものとして定義できる。実は『戦争』の対義語は『平和』である。我々は感覚的にはほぼ誰もが間違っているのだ。例えば、我々は『日常』を『平和』として感じられているだろうか?今日つけたテレビで見た競泳選手のように、当たり前のことに感謝できているだろうか?『地獄』と『天国』は対義語であることになぁなぁと気づいても、『戦争』と『平和』はまったく対義語だと感じられていないとあたし自身思う。『戦争』はマイナスのベクトルの符号がつくというイメージは容易に沸くが、『平和』がその対義語であるプラスのベクトルの符号がつくものだとは感じられていないのが実際ではないだろうか?言わずもがな『平和』は0(ゼロすなわち”無”)として、『日常』においてとらえていないだろうか?そこにある、という奇跡、あるだけの奇跡。それを本当に感じられているだろうか。奇跡が・日常が・平和がプラス(+)であると。

よつばの日常は18週年、変わっていないとうちゃんのまなざしと共にある。そして今日、あたしのそばに本として、ある。空想の物語が、普通という・日常という・平和という奇跡を感じさせることのできる点こそ「よつばと」の素晴らしい点だ。だが、それは普通の生活の中で、忘れがちな、ニュートラルな…すなわちゼロの状態だと錯覚しがちな、平和な状況下にある。人間は失ったものを後悔し、悲しみ、泣き、そして失ったときにこそその大切さにようやっと気づく愚かな生き物であるってある偉人は言ってた。理性の追求が非理性を簡単に克服できると思い込み、日々のまなざしとつなぐことのできる未来とはあまりに疎遠であるのがあたしたちという人間の世の中だ。常々、我々は矛盾した生物なのだ。目の先にあるものやカネに惑わされ、本質を見失いがちな現代の私たちは『大切なものは目に見えない』という当たり前すぎる日常の在り方にあまりに無頓着なんである。

三平やミギーが言うように、それに対して、自然環境や地球は”ただあるだけ”である。人間はちょっとのことで泣いたり笑ったり…雄大な自然や森はそこにあるだけで川のせせらぎはそこにあるだけで壮大なのに、あたしたち人間はなんという小さい存在であることだろうか?

『わたしは恥ずかしげもなく“地球のために”と言う人間がきらいだ…なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな。なにしろ地球で最初の生命体は煮えた硫化水素の中で生まれたんだそうだ』(※岩明均「寄生獣」より)

『はじめから泣きも笑いもしない』『ただそこにあるだけで偉大で唯物的な存在だ』…と彼らは漫画の中でいうのだ。よつばの感じている日常へのありがたみ・三平の言うような自然の雄大さを感じたとき、我々はようやっと人間という枠の小ささを意識できる。あまりにちっぽけでなんというバカな存在であることだろうか…当たり前だが我々は単なる一時を生きている生物に過ぎない。

ちっぽけで、バカだが、時として偉大な日常を生きる生物…あたしは、人間は普通の生き物だが、それでいて矛盾した存在であるということ、その深淵を漫画の登場人物よつばに教えてもらった。それでいてこそ…矛盾しているからこそ人間なのだ、と。それを受け入れられたときにすべての世界が変わって見える。宇宙の中に・その星々の煌めきの中に・そして地球という奇跡的な確率で生まれた、いつか滅びるであろう一時の、日常の中にある一瞬に感動出来たら…

ヒトとして見る、これほど幸せな光景はないことだろう。

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