これやっぱおもろいよwwwなんか笑ってて、んのたび読んで何回でも笑えるんだよな。その最大の論拠は、もこっちが黒歴史を作っていることが、俺らの黒歴史とともにあるからだ。この巻は「わたもて」の中でも中興の部分を描いている。つまり「わたもて」ファンならば、伝説級に面白い巻なのだ。そう!「修学旅行編」である。
人間は誰しもが忘れたかった嫌な思い出や恥ずかしかったことなんかあるもんだ。書くに及ばないが、そんなんだれにだってある。そして、それ自体が悪いわけじゃない(反省から教訓を引き出せるから)。だからこそ、もこっちの黒歴史はもこっち自身の黒歴史であるのは当然だが、それが我々読者にうったえかけるもののある学生時代の黒歴史でもある。そうしていくうちに人間は成長し大人になっていく。伊集院が中二病とかそういう類の概念をうまい具合にギャグとして提唱したのと同じスタンスでいいんだ。全部が許容できる。
「体育祭や修学旅行でここまでせんかったやろ!」(実は俺は修学旅行に中高といっていさえないのだが…)と思うぐらい、もこっちはそういう意味では「黒歴史的過激派」。ある種の思想犯やテロリストでさえあるといってもいいだろう。だからこそ…ネット上ではもこっちの”評判”はかなりいい。もこっちのファンサイトもあるぐらいだ。しかし、もこっちのそれは現実ほど(少なくとも若干はw)シビアではなく、漫画のタネネタになるぐらいユーモアにあふれている。
疑問としてうきあがるのは、「もこっちはなぜいじめられないのか?」これはよく言われることだ。だから、いじめの性質の現実部分ともコネクトしているわけで、その面で現実離れしてない。ネモや多種多様なキャラも画的に描き分けがかなりできているし、そこに漫画家谷川のスキルの高さが見て取れる。もちろん彼らの性格もすごく多彩で、それでいて、現実性あるぐらい「ふつーにこういう友達いるよな」や思わされるし、内容として単純な空想だけに終始していないんだ。
そして、この漫画でしか見て取れないのが、もこっちの黒歴史のあり方をめぐって展開される、その恥ずかしさ、そして、その真逆にあるであろうギャグタッチのホラフキンのコンビネーション。そのはざまで揺れ動く、もこっちのユーモアさはマジで人生を賭けたギャグである。もこっちの体験は我々の追体験であり、その黒歴史の内容を思い出すだけで、恥ずかしくなる、俺らの思い出でもある。
やて、若いうちに読んでいてけっこうおもろい。もちろん、中年になってからもおもろい別な読体験にふれることができる。そういう意味で特異な魅力あふれる黒歴史系漫画の傑作。これからもこっちが受験勉強とか大学時代とかどうやって過ごすのだろう?post(その後)の意味でも、「わたもて」のこれからの新刊は、そのすべての巻が黒歴史的漫画表現における肝…否、王道になっていくはずだ。
なぜ俺がこの漫画を買うか?
もちろん、俺も、もこっちの黒歴史とともにあるからだ。