「ケロロ軍曹」に見る漫画の模倣とオリジナルの発端 | ゲヲログ2.0

「ケロロ軍曹」に見る漫画の模倣とオリジナルの発端



「ケロロ軍曹」はやはり面白い漫画。オマージュばかりという評も有るけど、あたしはそうは思わん。友人に言わせれば、わざわざ買う必要なくね?っていうマンガであるらし。また巷でもそのように評されることも多いようだ。でもこの漫画、一回ぽっきりの漫画の読み方で済むものではないんだよな。いわば、読後一回性という、コスパの悪い漫画ではないと思う。これにはいくつかの「ケロロ軍曹」なりの理由があると思う。

その第一の理由として挙げられるのが、『異文化もの』っていう性質のストーリプロットだろうな。いわば、メイドラゴンと同じように、人間の世界とは別世界から来たものが、異文化との衝突によってなんらかの形質獲得を為すという点で、まず特徴的ではある。そしてそのイメージがしっかりと確立されている面で「ケロロ軍曹」はとても優れている。それがデザインであり、しっかりしたコマ割りであり、漫画の設計力だと思うんだ。

まず、この漫画は登場人物の画がしっかり確立されてて、ブレがない。いわば作画に甘さが見受けられない。しっかりと基礎に忠実な、それでいてライトなデザインをしていて、絵の完成度がまるでアニメーションのキャラクターデザイン案を見ているような気分にさせられる。よって、絵を見れば見るほど、その精巧さに興味深く見惚れることができる。だから、見るたびにこういう描き方が、理想に近い描き方なんだなと思わされる。もちろん、フリーダムな作画でもいいんだけど、安定力という面ではそれとは一線を画していて、精緻に描かれた部分に魅力があると思う。

いわば「ARIA」がコマ割りがしっかりしすぎていて、昔の漫画を見ているようだと評されることとこれは似ているようにも思える。というのも「ARIA」っていう漫画はやはり古典的でいてそれでいて、やはり革新性もある漫画の種に属するもの。なぜかというと、やはりハコニワ性があるんだと思うんだ。単純な正しい描き方なんだけど、それゆえにもうひとつのワールドを客観的に見ているように思わされるので、見る度に発見があり、追体験というような性質がにじみ出ている。これが「ARIA」にも「ケロロ軍曹」にも共通しているところだとあたしは思っておる。

次に特徴的なのが、起承転結の見事さだと思うな。しっかりと話が一貫して、起承転結に結びつく。だれがなんとかして(起・承)、どうしたら(転)、こうなった(結)とすごく具現化している話の作り方なんで、読むたびに発見があるという面では、前述の作画の効果と同じようないわば二重の効果になっていると思う。その面では、本作が少年エースという特殊な漫画雑誌で連載されていることに納得がいくと思う。エースでしかできない漫画表現に合致していて、雑誌の傾向として、路線として、すごく”エースらしさ”を感じる出来になっている。

というわけで、一回ぽっきり読めば済むような漫画ではなく、笑いたいときに、笑いたい分だけその分読めばいい、という面では、読後一回性というネガティブでコスパの悪い漫画ではない、とあたしは思っている。やはり「ケロロ軍曹」は面白い漫画だと思う。最近になって、その傾向は強みを増し、長期連載であっても勢いは衰えていない。むしろ最近は、独自のプロットが増えていて、あさっての方向からオマージュを取ってきただけのくだらない漫画ではなくなってきている。独自性(オリジナリティ)は、模倣から生まれる、ということを体現してくれていると思う。色褪せん魅力がある漫画やな。