たしかにゲーム系YouTuberキャベツの話には一定の説得力はある。動画編集の技術は優れているし、話も饒舌で常識的な意見しか言っていない。この動画をみれば「アサシン クリード シャドウズ」の抱える問題は大方全部わかる。だが、逆説的に言えば、それしかわからないということでもある。キャベツはこの「アサクリ問題」について、一言で言い表せるのならば、としてこのように言う。
UBIによる悪気のない日本軽視
だがこれが本質的な問題になるかどうか?という点は微妙なところではあると思う。JK日本をうまく表現できていない…とする評論は正しいが、これはゲームであり、あくまで解釈の問題なのだ。誰かが発売中止を求めたところで、署名が集まることはあっても実効性はない。それはなぜかというと、UBIがこの解釈の面において法に反してまで「アサシン クリード シャドウズ」を作ったわけではないからだ。その解釈の面のフローについてキャベツはこうまとめる。
黒人の弥助起用⇒まだ許せる
『史実に基づいている』という主張⇒まぁまだ許せる
弥助が日本人ぶった切っていく⇒まぁまぁまだ許せる
歴史専門家を雇っているのに歴史考証が雑⇒微妙なところ
弥助の謎はゲーム的な歴史解釈で埋める⇒よくわからん
シャドウズを批判するものはレイシスト⇒さすがにブチギレ
感情として言っていることはわかる。肝心なのはproblem=弥助ではないということだ。ファンは弥助の存在自体は概ね許しているのだ。その周辺が許せないのだ、とキャベツは主張する。むしろ弥助の存在そのものは史実に基づいた考証であり、弥助はあっていいのである。あくまで日本スタイルの描画があまりに杜撰なところに日本のゲーマは怒っているのだ。人種というポリコレ問題の根幹に至ってはむしろ歓迎すべき事項である。その理念自体は素晴らしいからだ。
キャベツはそのコンサルタンシー・ポリコレの理念自体は全く悪くないと現に言っている。ポリコレ=ビジネスが問題なのだ、と。政治的な正確性を金儲けに使うことが許せないのだ、と。文化を食い物にする段に至って、問題は肥大化している。ゲーマーが怒るのも当然だ。だがこれはゲーム的なフィクショナルな解釈の問題だから、どうあがいてもUBIに分がある。つまり、ポリコレの表現自体を具体性ある解決に導く問題にすることは不可能なのだ。
ありていに言えば、ゲームを開発したUBIは法的には悪くない。いくらでもこういったゲームは日本でも流通している。カルロス・ゴーンやドナルド・トランプをもじった低俗なゲームも数多い。むしろ日本人は、いわゆる不謹慎ゲームとかいうブツをこれまでけっこう頻繁に作ってきて面白半分にそれで時勢を弄んできたという事実は存在する(無論すべてのゲーム開発者やゲーマーがそうであったわけではない)。だからこそ、振り返って結論できることがあるとすれば「アサクリ問題」次のようにまとめられる。
キャベツが言う感情の問題についていくら法的な強制力のない署名を集めてもUBIが譲ることはない
むしろ法的な強制力が存置しうる深刻な問題は関ケ原鉄砲隊に対するアセット盗用問題のほうである