自由と不自由のゆらめきの間で | ゲヲログ2.0

自由と不自由のゆらめきの間で



ある広義の世界において主人公プレイヤー(P)がいるとする。このPはゲーム・試合・マッチをこなしていくことで進行するシミュレーションを生きる。このとき、生きる自由が法律なりなんなりによって付加される。すると、この際不自由度も追従してきまってくる。これが自由と不自由との拮抗である。もっと言えば、それを数値ベクトルに置き換えたものが、自由度と不自由度の拮抗である。これは下図のように表される。

一方で、ベクトル化された自由、自由度は拡張性を持つ。例えば、自由に力づける要素があれば、それはより強化された自由度、として成立する。そしてそれは、当然のように相対する存在である不自由のベクトル、不自由度に影響を及ぼす。ふたつのベクトルは相対する存在であり、どちらかが強まれば、どちらかが弱まる関係性にある。

このとき、自由は不自由に行動的に先行しPに強い支配力を及ぼす。自由度の拡張によってゲインされた分、Pは拡張された自由度の分だけ、フリーダムに生きることができるようになる。そういう意味では、自由は不自由に先行する。我々の行動が自由に基づくものであり、もし仮にそれがデメリットとなり、不自由度に押し返されたとしてもそれは関係がなく、あくまで自由度の抑圧に留まる。

我々はサルトルが言うように自由という鎖に常々つながれている。それは時としてメリットでもデメリットでもある。