政治的イデオロギーの中で苦しむ「テンセント」 | ゲヲログ2.0

政治的イデオロギーの中で苦しむ「テンセント」

記事の要約:巨大な政治的イデオロギーの中では時価総額で有数の規模を誇る「テンセント」といえども、”小さい虫”の存在にすぎない。「テンセント」と提携した「KADOKAWA」に「チャイナリスク」と共存するだけの将来を開拓できる力量があるとは到底思えない。

前回の投稿であたしは「テンセント」が一概に悪いとは言えないと述べた。その予想は中国国内の政治的情勢と相対してかねがね当たってきているようだ。「テンセント」はインターネットの時代に最適な形のIT企業として、共産主義内で可能な限りの経営的自由を求めてきた。それに対して、中国共産党現政権は不適切なコンテンツには容赦のない統制を加える、という状況を崩していない(NRI)。

NRIが認めるように、元来、「チャイナリスク」は米国当局からの統制によって中国企業に及ぶ影響を主に指してきた言葉だが、ここにきて状況が一変しつつある。中国当局からの統制が中国企業に及んでいるのである。やはり中国共産党は一枚岩ではないようだ。新時代の毛沢東主義によりネット企業の息継ぎの勘所が抑えられているの間違いないだろう。不適切なネットコンテンツは統制の対象だとされ、中国版「フォートナイト」も事実上の規制対象となった(ITmedia)。これらの”過激なコンテンツ”を「精神的アヘン」と評する見方もある(産経ニュース)。習政権にとって、「精神的アヘン」は”落とすべき蠅”なのかもしれないが、問題なのは波及する国内外の経済圏への影響である。

もともと中国は、国内に資本主義経済を取り込むことで、共産主義を安定させることに成功した国家とみられることが多い。だが、鄧小平の復権と改革開放路線によって打ち立てられた、伝統ある資本共生の理念が、ここにきて習近平によって締め付けられつつある。経済学者の池田氏も書評の一環で認めるように、習の父は鄧によって失脚させられた経緯があるという(池田信夫 blog)。池田はこう述べる。

鄧小平は文化大革命で失脚したが、毛沢東の死後に復権した。習仲勲も復権したが、またしても鄧小平の陰謀で失脚し、二度と復権できなかった。習近平の行動の根底には、父を政治的に葬った鄧小平への恨みがあり、そのために彼の路線を逆転させた。それは次のようなものだ。

 ・改革開放で生まれた腐敗の根絶

 ・拡大した経済格差の解消

 ・経済重視で弱体化した軍事力の増強

習近平の本質が父の恨みだけで語れるとは思えないが、本書の推測する鄧小平の陰謀が事実だとすれば、彼の実像は日本や欧米のメディアで描かれるプラグマティックなまとめ役というイメージとは違う、ライバルを蹴落として生き残ってきた陰険な策士である。

池田信夫 blog : 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐より引用

たしかに池田の言うように、この積極的な中国修正主義は、習の個人的な考え方をメインサイクルに据えれば合理性があり、納得がいく。「腐敗の根絶」は従来から同じく課題だった事項だ。それは中国メディアを利用し国内外に体制の締め付けをアピールする絶好の機会だったが、その深度は胡錦涛政権時とは比較にならないほど厳しくなった。彼が策士なのであれば、腐敗は強国への打ち破るべき汚物に過ぎない。「経済格差の解消」もまた理解できる、純粋な共産回帰への事項だ。皆が経済的にある程度平等になってこそ彼の唱える「小康社会」が継続的に達成できる。また、「軍事力の増強」も合点がいく事項である。経済優先路線で国の強度を担保できると習は考えていない。強大な軍事力こそが世界覇権を握る重要な要素であることに間違いがない。経済の分配は軍事に回すことで偉大な漢民族の復活が達成できると彼ならば考えるはずだ。

ここまでの政治的イデオロギーの中で中国が動くのであれば、一介の自由経済主義者でしかないネット企業などは小さな虫のようなものだ。政治のプロである習が政治理念に見合って行動すれば、”握って潰せる”だけの存在に過ぎない。世界有数の時価総額を持つ企業といえども、政治的敵の側面を垣間見せれば、総書記は”落とすべき蠅”と考えるだろう。ある程度の抵抗は見込んだうえ、実行力で実力を示すのが現総書記だ。

このままでは「テンセント」と提携した「KADOKAWA」の夏野氏が言う『「テンセント」を主体とした中国国内での積極的なIP展開路線』などままならなくなる可能性がある(日本経済新聞)。共産主義の中で地力をつけ、強く息をはぐくんできた「テンセント」にリスクの本質が迫る今、日本の一企業に過ぎない「KADOKAWA」に、それに耐えきるだけの交渉力もといその担力があるとは到底思えない。

今、新たなる毛主義とそれを司る僭主は復活したのかもしれない。