森茉莉 [もり・まり](1903-1987)とは日本を代表する大文豪、森鴎外の長女である。なぜこのような当時として変わった名前(いわゆる「キラキラネーム」)がつけられたかというと、鴎外のドイツ留学経験が強く影響していると言われる(ついでに言っておくと、これは鴎外は帝大医学専科に年齢を偽って、事実上の飛び入学するなど、明治期特有のゆるーい文化が生きていた時代のことである)。
茉莉はぶっちゃけファザコンのダメ人間で、子供をそのまま大人にした性格、とまで言われ、家事はほぼ全くできず、鴎外がその人生の行く末を案じて、茉莉と帝大卒のエリートとの縁談をもちかけたほどであった。この縁談による結婚は茉莉が16歳のころだったという。結婚生活は案の定、長続きせず、茉莉と山田(その縁談相手の姓)はすぐに離縁となった。だが、これは茉莉の一面を見込んだに過ぎない、単純すぎる評論である。
例えば、茉莉は「家事はだめ」とは言っても、ある種の特殊な形であり、料理の腕前”だけ”は一流すぎるほど一流だった。また、鴎外の子孫は例外なく、ほぼ文学者や随筆家・実業家や医者となっており、茉莉もまた、優れた作家・随筆家であった。そのため父との溺愛の経験を書物にしるし、文壇では高い評価を受けた。例えば、「父の帽子」といった随筆や「甘い蜜の部屋」といった代表作を残している。特に後者は、他人への評論に関しては手厳しいことで知られる、あの偉大な三島由紀夫にでさえ激賞されたほどであった。三島はこういって茉莉のこの書を高く評価したという…「これはエロティシズムの極みだね」と。
1987年没(心不全による孤独死)。近代から現代までの時代を名文豪のもとに生まれ、彼女なりの力で強く生きた、彗星のような輝きを持ったユニークな人生であった。