【Steamゲームレビュー】「GOODBYE WORLD」~ゲームとは『メッセージ』である | ゲヲログ2.0

【Steamゲームレビュー】「GOODBYE WORLD」~ゲームとは『メッセージ』である



プレイしてて思ったんだけど,,,ゲームって『メッセージ』だよなぁって、当たり前のことを。これは小島監督も言ってたよね、初代MGSには反核のメッセージ性があることで有名だし。特に、RPGやADVってのは事実メッセージ性がすべて。いかにしてメッセージを効率よく強くプレイヤーに・受け手にうったえかけるかっていう点がすべて。その点ではこの一作「GOODBYE WORLD」は”かなり良く出来ている”。

創作のための評価か?評価のための創作か?

ある物事を好きになるということは、その創作にのめり込む中で、大多数たる自分が一流ではないことを感じ取ってしまう点と何事も繋がっていると、あたしは思う。例えば、絵だったり、小説だったり、論説だったり。なんでもそうだけど、夢や計画を図に・キャンバスに描いた時点で”それを評価する”…というベクトルのレール上に作品が乗っかっていることを、実は我々はごく自然と理解している。趣味の世界でも、プロフェッショナルの世界でもそれは同じで、ごく自然と、キャンバスの描画者自身がわかっていることなわけだ。では創作のための評価なのだろうか?それとも評価のための創作なのか?どっちなのだろうか?

例えば、pixivやTwitterで自分の意見に肯定的な反応を見ると安心する。特にビジネスの世界では数字がすべてである。それこそ作中の蟹井が意識したようにゲーム制作においてもそれは同じだ。多くの肯定的なレビューを見ると原作者は安心し、また金銭的に恵まれるだろう。カネが絡む現代の資本主義の世界においては、人間は他者からの評価によって存在価値を規定しがちで、それが一次的なものだと考えてしまっている。だがそれは間違っている、と本作はプレイヤーにうったえかける。つまり、物事の実存はその評価とは異なり、存在的に先行している。まず、ものがあって、それに対して認識や知覚が働く。だからこそ実存は重要である。おそらくゲームの作者はここまで考えてはいないだろうが、少なくともあたし自身は本作の『メッセージ』性の根源はここにあると思う(もちろん、細かく言えば両者ともにあっていい論理の筋なので、双方ともに言い分があることも理解できる)。

※画像:ゲーム「GOODBYE WORLD」(Steam)より引用.