記事の要約:ポケモンIPやOMOCATがゲームコンテンツのみならず、物品のブランド展開に成功しているのはなぜか?それは、情報材の性質をよく理解しており、そのシェアを握ったうえで、展開する物財の背後にある『ストーリー』を消費させることの重要性を重々わきまえているからだ。
ゲームの内幕に留まらず、国内外で通用する多国籍マルチメディアコンテンツに強く成長した「ポケットモンスター」シリーズ。その公式グッズ販売を一手に担うポケモンセンターオンラインの米国版:Pokémon CenterがOMOCATとクロスオーバーし、独自デザインのジャージの販売を始めた(Pokémon Center)。
このニュースはOMOCAT自身が、以下のようにTwitterで事前に告知しており、なんらかの意図を示唆するものになっていたが、今回、そのベールが解かれた。OMOCATの持つブランド力が”コンテンツとしてのポケモン”とコラボレーションを生み出すほどレベルの高いものであることが示されたといっていいだろう。
Pokémon Center x OMOCAT — coming 2.23.22 pic.twitter.com/tvwu0RbI8J
— OMOCAT (@_omocat) February 22, 2022
さて、彼らがこのようにイメージデザイン/コンセプトデザインを主としたグッズ展開に、いまさら注力するのはなぜなのだろうか?なぜ、古典的な財産であるアパレルなどの物品として、製品性質を物財に転化して販売するのか?という常識的な疑問はあっていいだろう。情報材がバブル式に溢れている時代ならば、この傾向に反意を持つのは当然のことだ。
忘れてはならないのは、物財・その商品の裏には記号としてのイメージが存在する、ということだ。我々ファンはキャラクターそのものに魅力を感じているわけではない。意識はしていないが、消費者はそのキャラクターの世界観や背後にあるスパンを大きく取ったストーリーに魅力を感じているわけだ。ピカチュウというキャラクターがそこにいるだけでピカチュウは魅力的だろうか?それは違う。ピカチュウの暮らす空想的な世界・サトシとの世界がイメージとして我々の脳裏に焼き付いているからこそ、ポケモンセンターは成功している。ヴィトンの物自体があったとしてそれのみを好んで買う馬鹿な女性・ひとはいない。そのブランド能力という、財産の背後にある抽象的な価値があるからこそ、ヴィトンはヴィトンなのであり、エルメスはエルメスなんである。
世界中で売れ続けるコンテンツを作りたければ、そのイメージ分野をしっかとにぎってから、物財に財産性質を転化させる必要がある。ポケモンIPやOMOCATぐらいの『モンスター級』にもなるとこの方法は簡単に達成できる。Google StoreがApple Storeにハードウェア分野で反撃の狼煙を上げたように、高度な情報材の分野で大成功したからこそ、血気盛んになってやれるハードウェア商品もある。そうしたデータベース的消費の真っ只中で、ことさらファンの購買意欲をかきることにポケモンIPやOMOCATは成功しているのだ。