中卒コアゲーマが『RMTは悪か』をテーマに行動哲学の問題としてこれを必死に考えてみた | ゲヲログ2.0

中卒コアゲーマが『RMTは悪か』をテーマに行動哲学の問題としてこれを必死に考えてみた



議題

『RMTは悪か』っていうと、そうとは言い切れない面があると思うんですよ。まず、法規制が出来ていないこと。次点で規約で規定されているか否かはゲームごとに異なっていること、です。この各段階について重なるところはあれども、できる限り簡単に説明してみますね(とはいっても結局は深く入っていきますが…w)。

法規制と民事不介入

まず、法規制が出来ていないこと。これは極めて重要です。確かにRMTは悪質性のある業者がいて、そういう意味では規制出来ている部分と出来ていない部分がありますが、基本的には民事不介入の原則に照らして、法規制はそうそう簡単にできないとも思う。いわゆるグレーゾーンってやつです。業務上の妨害とかそういうのに抵触する恐れがある一方で、マクロ的に考えれば、民事の行動ですから黙認という形もある。RMTはやめようっていう治安関係のキャンペーンが敷かれていたこともありますが、ではそもそもユーザ間のRMTだけが問題なのか?っていうとそうとは言えないのも事実です。例えば、「ルートボックス騒動」はこれに似ている構造を持っていますし、公式業者側が”RMTと似たようなことをしている”に違いないのです。どういうことか?

「ルートボックス騒動」とは何だったのか?

「FIFA」シリーズでは課金ガチャが多くアイテムとして出されてますよね。これがRMTに似ている、とする論理はすごく近くていい線いっていて、RMT擁護やはたまた批判にも駆使できるメカニズムです。ガチャはまぎれもなく賭博であることを見逃してはいけない。競争心を利用したオフィシャルな賭博稼業に他ならないので、RMTの構図がユーザユーザからユーザ公式に変わっているだけなのです。ゲヲログみたいな辺鄙なサイトをご覧になっていただいている皆さん、欧州ではルートボックスが問題になっているのは知っていますよね。ユーザから無限に金を搾り取る構造ですからね。限りなくRMTに近いです。ユーザユーザでやるRMTとユーザ公式でやるルートボックスガチャがどう違いがあるのか?と言われると公式は答えに窮するのは間違いない。そういう業者が規約、という形で民事の間でRMTを規制しているのです。これを矛盾と言わずして何を矛盾とするのか?

二転三転する運営公式の問題

そこで出てきたのがRMTを容認するゲームです。例えば、大人気ゲームだった「Diablo3」では一時期RMTを許可していました。批判を受けて、一転してオークションハウスを閉鎖したんですよね(参考リンク)。こういう二重三重の矛盾した対応が批判されるのは当然のことであり、RMTの問題が難しいことを端に呈しているものだ、とするとらえ方はあっていいと思います。規約で禁止されている&バレればBANされるのは当たり前ですが、これが訴訟のレベルになったりグレーゾーンを規制する法規制の問題になったりすることで、矛盾の滑車は巡り巡って様々な体制にひずみを生んでいるのは、もちろんのことであり現状まさにそうなのです。ちなみに、RMTのシステムを売りにしたサイトはGoogle検索でいくらでも見つけることができます。法規制がされておらず、規約に違反する自己責任の問題なだけだ、ともとらえられる現状がこうした悪行の横行を呼んでは闊歩させているわけですね。

RMTを規制するべきではない”ゲーミング”なわけ

この問題はぶっちゃけ解決しようがないです。P2Wのゲームではもちろんのことですが、F2Pのゲームでもある程度ガチャの要素はあり、どのオンラインゲームでもRMTの要素は一定程度あるという現状の厳しい認識からスタートしなければいけないからです。そもそもゲームとはTRPGが主流だったむかしっからランダマイゼーションの商業商品であり、一定程度のガチャ要素、未来への不確定要素を楽しむためのいわば衒学的な娯楽に過ぎません。だからこそ、RMTの問題は難しいのです。この厳しい認識が欠如指定していると、物事の根幹から本質的に考える姿勢が養われないことは当然のことであり、RMTの規制の問題は入門にすら達していないはずなのです(少なくとも根本的な考え方によれば)。

そもそもな哲学的背景

より哲学的に考えるとそもそも投資や未来への貯蓄でさえ、一定程度の不確定要素を利用している、行動哲学的なゲームだとする考え方は間違ってすらいない。皆、未来へ不安があるから投資したり貯蓄したりする。そして、不安に備えたりそれが法に背いたりすることもある。このようにRMTの問題、というものはルートボックスやガチャを巡る問題でもある。その根源的なパワーの在り方を問うことができるとするならば、時系列的な行動哲学のパラドックシカルな問題にさえなってしまうのです。だから、ゲヲログはRMTはあっていいと思います。規制すること自体が難しいからです。ですが現実問題、それが大問題になって経済的な不和を生む必然性すらあるところを見ると、上限の規制、という形でRMTならびにルートボックスの問題は最低限のハードルを設けるべきだ、と”新自由主義的に”思うところです。

※とは拡張して言ったものの一番簡単で基礎的な知識が冒頭中野弁護士が言っている通りではある…