管理人:綾野純 副管理人:fame(ファメルス)ご連絡は渉外課まで⇒
「さよなら、アルマ」”赤紙をもらった犬”

「さよなら、アルマ」”赤紙をもらった犬”

本書は”アルマ”という軍事用に鍛錬された犬とその家族との絆を描いた作品だ。作者の水野は博物館で軍事犬の歴史を見ていたところ、本書の着想に至ったという。確かにこのアイデアはすごくいいところや戦争のある面での本質をついている。人間は万物の霊長といわれるのに、それにもかかわらず、自然をむしばみ、自分たちの利益におごり、しかもそれにこだわる。

犬をペットとして飼うことにでさえ拒否感を抱く人々がいたり、見世物として展示するための動物館の保育施設はあってはならないという動物愛護の立場からもレビューはできるだろうが、本書のコアはそんな時事的なもんじゃ決してない。本書のコアはこの書物の最後の章だけに凝縮されていて、犬という生命とのふれあい、その心の通じ方のありかたを素直にきれい飾らずに描いた点こそが素晴らしい。その最終章に至るストーリーの収束のありかたこそが、誰もが子供のころ抱いた矛盾のこころのプロセスである。人間が万物の長であるという「既成事実」への疑念が如実に、しかしながら、現実的に、印象的に残る点こそがすごい。シンプルな文体であってもその感情の意図は十分理解できる。

軍事犬の目的とは本書の中でも見受けられるように、偵察・誘導・伝令・果ては自爆攻撃までも含む過酷なものだったという。赤紙をもらった軍事犬はそういう使命を、人間にむりやり託されて戦地に赴いた史実がある。自然をえぐり、破壊してきた人間へ、一人の愛犬家の小学生が抱いた、先鋭的な挑戦的な行動の主張が、その現状のありかたへ”半分だけ”反旗を翻す…というのがこの最終章に書かれている。少年は最後、学校での作文の発表演説でいう。

「アルマは勇気をもって戦地へ行きます。みんなでアルマの勇敢な戦いを応援しましょう」と。軍服姿の偉い軍人や教頭はこれにうなづいて同意する。だがこれだけで少年の作文の発表は終わらない。少年はさらに、続ける。「アルマ、お前は戦争から逃げてもいいから必ず我が家へ帰ってこい」「お前のことを好きな俺たちがいるということを決して忘れないで、必ず帰ってきてほしい…」と思いを込めて言う。その後アルマは、かけ足で壇上に登り少年のもとへ行く。種別を超えて愛情を共有する立ち姿に、軍人や教頭は解せぬ顔をしその想定外のストーリにあわてふためく。だがその様子、一匹の犬と少年に芽生えた愛情そのもの、友愛の精神に観衆の誰もが涙するのだ。

人間は戦争にこだわり、戦益を優先しアルマをはじめとする軍事犬を道具として駆使しておきながら、エゴだけを追求した戦争が終わったころにはその犠牲にはまったく関心を示さない。アルマは死に、遺骨さえ帰ってこないのだ。民族や国家の違いの目先の利益だけに利用され、勝手な戦争に巻き込まれた犬たちがいた…このことを我々は戦争に対するスタンスを超越した立場上忘れてはならない。

命をもてあそばれた、人間よりも”ずっとずっと賢い動物がいた”ということ、そして”彼ら”が赤紙をもらって戦地へ赴いたことというのは戦後半世紀どころか戦後直前にだって、そのことに思いをはせて考えられる人間は数少ないことだろう。希望を抱き生きる人間の人生のすばらしさは実際のところ、数少ない賢人でありながら凡人である人々にしかできないことだが、主人公ら家族はそのことを事実自然のままに理解していた。それだけで彼らは本当に偉大である。彼らにとっては、戦地での家族の人間の死と同様、軍事犬の死もむごい悲惨な思い出であるわけだ。我々が平和を享受する世界に生きていることに感謝し、生命のありかたに涙する絆こそが重要であり、しかも、そのこと自体を忘れなければ未来は開ける…本書を読むと、そのアルマという「赤紙の犬」がそれを代弁してくれたような気がしてならない。

(本書はいくつかあるバージョンのうち一番簡単な文章で書かれ、回想の立場書かれた中短編フィクション小説である)