記事の要約:ガチャ規制は難しい。それは、端折って言えば、ガチャそのものが未来への選択肢だからである。ガンホーの提示するガチャポリシーは企業のCSR上の問題でもありながら、社内外政治の一環でもあるはずだ。
WIREDが昨年2021年3月にガチャ規制について報じている。題は『ソーシャルゲームのガチャは規制されるべきなのか?海外の最新事情は?』というものだ(関連リンク:WIRED.jp)。当該記事はあたしらみたいなゴミブロガーのそれ(笑)と違って、高級なもの。良く出来ているので、ちょっと箇条書きで要点をまとめてみよう。
・ガチャ=ルートボックス…確率論に従ったレアアイテム引換券のようなもの
・”ガチャが日本のゲーム産業をダメにしている”との業界の指摘がある
・モバイルゲームのほうが映画産業よりも稼ぎ出す現代でガチャ規制はどうあるべきなのか?
・日本人は世界でも有数のガチャを引きまくる民族である
・ガチャはタイトルが人気であり続ければ企業にとっては稼ぎ頭になり続ける
・ルートボックスはギャンブルなのか?特にEUでは規制が進む
たしかに記事が指摘するように、ガチャはF2Pの時代に最適なモデルかもしれない。だが、同時に記事が指摘するようにガチャはガチャであるのみで単独で問題にはなりえない。例えば、確率論やくじ引きといったシステムは競馬・競輪・パチンコなどの娯楽産業でも同じ要素だ。ガチャとそれら賭け事との違いはその構造がデジタル化されているか否かという面があるだけで、何かを見えない未来に託すという利益追求の行動原理の側面ではまったく同じシステムなのである。
例えば、ガチャ=ルートボックスを規制する必要性があるのであれば、競馬・競輪・パチンコといったものも同じように形の違いはあって規制の細則は異なっても、結果的に同類のよう扱われるべきだろう。だが、現実ではそうはなっていないことにここでもってして我々は気付く。いくらガチャ規制を、と叫んでもパチスロ規制は進まないだろう。我々は皆賭けに託すのである。それは拡大して解釈すればあらゆるデジタル産業・あらゆる選択でも同じなのである。
例えば、DLCをまとめたシーズンパスなどはどうだろうか?未来の見えない権利取得選択に、我らは確かに賭けている。見えない未来・娯楽性に賭けているのである。ゲーム内のサブスクリプションサービスもまたそうだ。未来のサービスに賭けている。皆、現代社会では未来にリスクをもってして賭けているのである。だから、ガチャを規制するべきか?という問題は拡大解釈すれば、マイクロトランザクションを規制するべきか?という問題と同意であり、それは人生における選択ともほぼほぼ構造は同じでないとは言い切れない。だからガチャ規制は難しいのだ。
これに対して具体的な対策を打ち出している企業もある。ガンホーは未成年・未権利者のガチャには保護者の同意が必要だ、とするプログラム内での規制を打ち出していて、これらは会社としての責任感・ポリシーのようなものだとHP上でアピールする(関連リンク:ガンホー)。課金金額の規制もまた同様に行われている。さらに、ガンホーは、これらのトランザクションシステムを通じて不正を行ったりすることに厳しい体制を敷いている。PG内でそれを検出したり、注意を促したり、それこそ規制を仕掛けることで、”健全なガチャ”をCSR政策上アピールするわけだ。これは表面的な印象も良いものがあるが、企業としての責任性という企業政治の側面も正直あるだろう。
例えば、ガチャを引かせまくって金を巻き上げるシステムを構築することはたやすい。だが、それでは肝心の単一タイトル依存の問題からは脱却できないし、新規IPを作ろうとするイノベーションも起きにくい結果を招くだろう。つまり、ガンホーはどっちともつかず、すなわち、ガチャに頼りながらもそれだけではゲーム会社は成り立たないということを社是として示しているように思う。金巻き上げるシステムに依存する系は継続的な会社経営にとって、特にガンホーのような大企業の観点から見た責任性からは、極めて不適切だというわけだ。
このことから推察されるに、鍵となるのは、ガチャの規制は、バランスの問題である、ということのように思える。つまり、どこからでどこまで線引きをするか?という問題はガチャそのものの性質や形状の問題であり、企業の大きさや態度の問題でもあるし、デジタル産業か非デジタル産業かを問わず、俯瞰的な全面規制の問題になりえることが示唆されているように思う。その規制は顧客・企業・規制当局の動きをもってして絶妙なタイミングでバランスをとって行うしかないだろう。
もっとも経済学の論拠でいえば、こうした自由競争の原理は推奨されるべきであり、当局による規制は無為であるとするものもあるはずだ。問題の根幹は相当ムズカシイのである。だが、ガンホーが呈する、企業的責任という態度の一筋の道の在り方は、ガチャに対する抵抗力の側面を確かに表した、優れた自戒でもあるよう、あたしには思えてならない。