【ガンダムは】ガンダムの父:富野由悠季(別名:天才)~2008年にカルチャーミックスについて語る{台湾の地で}【パクリじゃない!】 | ゲヲログ2.0

【ガンダムは】ガンダムの父:富野由悠季(別名:天才)~2008年にカルチャーミックスについて語る{台湾の地で}【パクリじゃない!】



ガンダムの父:富野由悠季、カルチャーミックスを語る

あたしもね、この記事今更見たんだけど、すごいなぁって思った。2008年の時点で台湾台北の地で開かれたTaipei Game Showで、現代における創作活動について客観的に論を飛ばしている。これ見ると読むとね、やっぱ富野は天才だわって思う。文系なのに、理科系の知識も豊富に持っているよね。4亀の記事をまとめてみるとこうなる。


・結局のところ創作というものは以前から創作されてきたものの集約である.

・これからの100年の創作活動を見据えたときそれがより重要になってくる.

・ゲーム/アニメ/ネットミームなどあらゆる創作についてこの論が該当する.

・創作集団が高度集約化するにつれて天才たちが流入してきて競争が始まる.

・今後そのペースはさらに速度を増すから40年前の集団とは性質が転変する.


まず、これが前提、というか当たり前の論として論じられている。てか以前から、ガンダムは戦前の世界やナチをモチーフにしたり、あるいは、スターウォーズに着想を得ていると批判されることが多いけど(※これについてはネット上でそれこそ多くの情報が錯綜しているので別所にその解説は譲ることとするが…)それを富野はしっかりと自認してるんだよね。んだんで、ちょっとそのパクリ説は置いておいて、本質を論じみようじゃあないか。

創作活動とはカルチャーミックスである

つまり、創作活動というものやイノベーションというものはジョブズも認めるようにこれまで創作されてきたものの、複合体なんだよね。これを富野はカルチャーミックスと呼んでいる。例えば、古くから作られたものに着想を得たり、別文化圏のものに着想を得たりして、それを複合体として合成しているに過ぎない。いわば等関数に過ぎないんだよね。でもそれは、カルチャーミックスの本質ではない、と富野は言う。一般的にそういわれているものは”単なるパクリ”であって、創作活動の本質に通じているオリジナリティあるものではない、と言うんだ。これはどういうことだろうか?

ガンダムはカルチャーミックスの成功事例

例えば、ガンダムではロボットものとして先達のSFがやはりあった。数多くあった。そしてそのうえに人間、それも不完全な人間ドラマがあっていいんじゃないか?とする疑問=問を付け加えた。これによってガンダムは単なるロボットSFに過ぎないものではなくなり、人間ドラマのあるロボット群像劇となった。だからこそオリジナリティが生じて、単なる等関数で紐解けるものではなくなったというんだよね。つまり、新しい価値を生み出すことで数十年から数百年にわたって受け継がれるような普遍的な価値の持つ作品を生み出すことにつながったって言うんだ。

日本人はカルチャーミックスの御大

思い起こせば、田原も認めるように日本人は創作活動が苦手であるとよく言われる。これはもっともなことで、日本人はうまく外文化を取り入れて、それを逍遥させ、オリジナリティを付加させることで文化的豊潤を生む民族だった。それをおそらく富野も自認しているのだろう。そして、その日本人の文化性はこれからのネット時代さらに世界的に重要になっていくというのだ。

かのジョブズも認めるイノベーション

ジョブズは、イノベーションとはこれまでの物事の要素・要素をフォームとして組み込んだ…つまり、(富野がここで言うような)カルチャーミックスの本質を突いた驚愕すべき成果、と定義した。これを富野も踏襲しているわけだ。つまり、イノベーティブなものというものは既存の商品や概念の組み合わせであり、そこにオリジナルな手法を組み入れたものだ、というのだ。単に複合した等式で導けるものではない、というんだね。そこには不等号がつかなければならない。過去よりもより優れた、オリジナルさを感じさせるものにならねばならない。

ではYouTuberに未来はあるのか?

こういうと、それはYouTubeなどでできているものではないか?という意見がある、それはそれでいいのだ、と富野は付け加える。ただ、数十年後、あるいは数百年後に文化として正当に評価できるものがあるのか?そうした天才性や創作性があるのか?ということを問うているわけだ。つべは社会的に金儲けの道具でもあるから、その中から成功例が出てくるのは当たり前のことだ、と。それは市場成功としてはいい…だが、一瞥しての一瞬な利益になっておらぬか?と富野は問う。

オリジナリティがないとカルチャーミックスとは言えない

インパクトを継続的に与えるものでなければカルチャーミックとは言えないのだ、と富野は言うわけだ。現にそうした”カルチャーミックスの失敗事例”2008の時点で台湾で富野はいくつか発見できた、と主張するわけ。ビジネスとしても一時成り立つだけでは継続的な利益的包容にはならぬし、それはイノベーティブな発明や創作ではなくなってしまう…あくまで他文化を織り込んだうえでオリジナルな要素がなければ、イノベーションとは言えないし、そうしたもの、つまり、仮カルチャーミックスに埋没する限り、アニメや漫画の成功事例☞カルチャーミックスの本質事例とは言えない、というわけだよね。


質疑応答の面は至極まっとうに受け流しているだけなので本論はこれで終わってるよね…