このつべ動画をみて、改めてショックを受けた。米国が天国かのような意見が間違っていたことはよくよくわかってはいたことだが、改めてショックを受けた。米国の場合、あまりに常識が悲惨すぎると思うのだ。特に法律が金持ちのロビー活動によってゆがめられビジネス化している点が悪いところだと再認識させられた。あたしも米国ではいい大学を出ればいい就職先があると信じていたし、アメリカの技術者が世界で一番恵まれているんだ!と錯覚していた時期があるので、ことさらそうだなぁと思った。格差固定された教育システム・驚くほど悪い治安…『一部の特権階級に縛られた夢の国』というわけだね。世界の大学ランキングってのは当てにならないってのは事実らしいね。たしかコロンビア大学があれをうまく操作していた事実はあるんだよな。つまり、ランクというのは常識として通用しても良識としては通用しない指標に過ぎないんだ。アメリカが世界一の肥満大国なのは安価なジャンクフードが蔓延しているから。日本では考えられないほど銃犯罪の割合も高い…。
対して、悲惨だ悲惨だと言われる割に我々の国、日本はどうだろうか?学ぶ意欲さえあれば安めな教育費・共助の制度の元、低く抑えられた医療費・低成長と嘆かれる割には驚くほど低くこじんまりとまとまっている失業率…よく言われることだが、日本で博士号をとっても意味がない、とかもうね…。もうドクター課程まで行ってなんにも知らないんだなっていうことなんですよね。ドクターをとっても専門性と汎用性を兼ね備えていれば、生きる前提知識力はこの日本国において確かにあるんだよな。大手の会社でドクター枠を作る企業も数年前よりも増えたし、民間の奨学金制度も充実している。よくJASSOの奨学金がナンチャラっていう人もおるけど、病症人と認定されたり、優秀な論文を書いてアクセプトされれば、減免制度や免除制度がしっかりある。何より、質の良い中小企業(SME)が日本には多くある。世界的な水準の中小企業がごまんとあって、そのどこもが経営努力をしている。首切りも驚くほど少ない。世界で最先端の研究開発をしている企業が多くあるのは間違いなく日本なわけだね。
あと、身近な点ではドクターの惨状が悲惨なのはどの国でも同じである、ということをよくよく忘れてはならないと思ったよ。教育が高度化し、大学院教育が盛んになれば、研究開発人員の質は均一化してイノベーティブな人材にストッパー、制約がかかる。研究開発に腐心しているアメリカやイスラエルだってそうだ。どの国もドクターのアカデミックな採用枠は厳しい道。よーするに、これが現実なのだ。勉強しさえすれば学歴に拘らず、公務員になれる道もある。中小企業と言わず技術公務員になる道だって、日本にはあるんだよな。理化学研究所の研究員は確かに優秀だが、皆任期付きのテクノクラートであることが多い。なんたって、ユニットリーダークラスになっても任期付きなんだからな。大学の正教授になれなくてもいろんな道が考えられる。いろんな選択肢があって、比較的平等である。米国では融資が受けやすいというのも全くの幻想なんだよな。どの国においても一回失敗した起業家に対する支援は厳しい。金融システムがそうであれば、当然、教育システムもそれに準じてそうである。
いわば、これは日本という国だからこそできる、すごくユニークな解決方法・発想なんだよね。起業家の数は少なくて自然と競合も少ない。うまく工夫すれば、起業とまではいかなくても、いろいろ考えられる。何も大企業だけじゃない。ベンチャー・ユニコーン・先に書いたSME…低成長の国で何が悪い。低成長でも失業率は低いし、犯罪も少ない。極めて治安が良い。整備された交通網もあるし、医療介護問題も皆で解決しようとする心行きが日本にはやっぱある。格差固定もされておらず、本当のアメリカンドリーム、というものは実のところ我々が考えなければならなかったジャパニーズドリームであるわけです。幸福度ランクほど当てにならない指標もない。大学ランクと同じように、テキトーにランク付けしているものに右往左往される必要ってないんだよね。んだもんで、だーまめの動画を見て、ある名前も知らない偉人の言葉を思い起こしたんっすよね。当たり前のことを当たり前のように考えられる言葉だと今になって思う。そして日本にはその考え方のカルチャーが既に強く根付いているのだ、とも思う。
『高水準の生活をするのに成長は必要ないことを証明しているのが日本なのである』
ジェレミー・ウィリアムズ
『全世界の国の中で未来の鍵を握っていたのは日本だったなんて誰が考えただろう』
モリス・バーマン
『国の形や人々の世を正常に作るのは、常にある常識ではなく、健全な良識である』
ナナシ