現実味を帯びるデジタルゲームの政治への活用〈世の”ツール化”の持つシミュレーション的効用について〉 | ゲヲログ2.0

現実味を帯びるデジタルゲームの政治への活用〈世の”ツール化”の持つシミュレーション的効用について〉



イキナリ、東洋経済に凸電してみた結果…

以前、東洋経済にインターネットの投票活動について直に電話で問い合わせたことがある。随分と勇猛果敢なことを、随分と未熟な青年少女が突然電話で口走ったモンだが、同社の記者はちっとも誠実でないあたしに、誠実に答えてくれた。この頃が、2015~2016年ぐらいだったから、今と比べてもそれほどは昔じゃない。記者(たぶん東洋経済の中でも偉い人)曰く、『既に自民党や民主党(当時)にアクセスしているアントレプレナーがいるんですよw』とのこと。『うちでも記事で特集を組むかもしれないよ~』とも。でも、インターネットの投票活動については周知のとおり本邦では開始されていない。それほど技術的にハードルが高いわけだ。じゃそりゃなぜか?というとハッキングによる不正が入り込む余地があるから。

電子投票の多段性とハッキングによる不正

実は、インターネットの投票活動への応用は多段的に解釈できる。例えば、投票場にネット端末を用意して、それに入力する形式…これが電子投票の一番簡単な事例だろう。メリットは、集計が楽になることや費用がかさまないこと、などだろう。ただ、紙とペンによる投票ではないから、ここに不正の入り込む余地がある。次にインターネットの特徴を駆使して、いわばフル電子投票をすること。遠隔地から、家からでもインターネットアクセスさえあれば、投票ができるようにすることだ。これはよりシステムをデジタル寄りにする必要性があるため、投票場のネット端末方式よりもずっとハードルは高くなる。そうだ!問題はハッキングによる不正なのだ。

メディアの政治的活用の解禁

じゃそれだけか?っていうとこの問題はそうそう簡単には収まらない。例えば、本番の選挙投票そのものではなくして、ネットやメディアで政治家による広告を許可したらどうだろうか?という案だ。これはTwitter(現X)やYouTube・政府広告などでもう盛んに解禁されている(もしくはそう待たずして基本的にあらゆるSNSで解禁されるだろう)。なぜ電子投票は実現せず、政治活動のメディア利用は実現したのか?この理由も簡単だ。ハッキングなどによる不正が起きやすい投票活動そのものの部分ではなくして、選挙のプロセスの部分に焦点を当てているからだ。つまりプロセスの部分であれば、ファクトチェックはできる。不正に十分に対抗できるのだ。一方、電子投票…特に政治活動にダイレクトにアクセスできちゃうオールネットの電子投票は不正に対してあまりに脆く、ハッキングなどに対する対抗性を持ちにくい。つまり本質的な問題は、決定的な部分にそれ(ネット)という不確実性を持ち込むことなのだ。プロセスはファクトチェックによって真偽の確認が比較的容易にできる。だが、リザルトはファクトチェックによる真偽の確認がしにくい、ということである。

投票的ゲーミフィケーション

一方でプロセスの部分にゲームを活用しよう、という試みもある。BBCの記事(Can online gaming influence a US presidential election? – BBC News)を見てほしい。端的に言うと、ここで示されているもののうち肝となるのは、ゲームを政治的に活用しデータサイエンスに活用する、という果てなき野望だ。ゲームのシステムを駆使して、投票率や投票傾向、投票心理などの調査を同時に行う。すると当然有権者たちが、どこでどのような投票をしどういった傾向で投票したか?また、どういった心境で候補者に投票したのか?ということがよくわかる。つまり寿司バーと同じように政治的投票活動の場もデータサイエンスの踊り場なのだ。そこにゲームが加わったらどうなるか?ゲームのシステムを応用したら投票活動を左右できるファクタになるのではないか?政治家や、電子投票〈リザルト〉へ繋がるシステム〈プロセス〉を見据えたアントレプレナーたちは、この事実に気付いて実際行動を起こしているわけである。

ゲームと政治シミュレーション

つまり、既にゲームはゲームであってゲーム以外の側面を多面的に持っている。これがシミュレーションである。例えば、今、Steamで”政治シミュレーション”というタグでゲームの検索するともう数多の政治心理科学的なゲームが見つかる。「TROPICO」「VICTORIA」「DEMOCRACY」「CRUSADER KINGS」…どれもゲーム史に残る傑作ばかりだが、枝葉に至るまで、相当細かなタイトルもまた多い。政治とゲームは、既に切っても切り離せない状況に、現実問題、実際にあるわけだ。現実の政治家を揶揄するタイトル・ネガティブキャンペーンに近いタイトルもある。戦争という悪政を敷く独裁者を槍玉にあげるだけの低俗なゲームも多い。はたまた、投票活動のリアルなシミュレーションに近い、高級な”政治的ゲーム”(なんとも皮肉な表現だが,,,)も多く見つかる。

至極、もっともな話

もっとも、シミュレーションの意味は”現実の投影”だから政治分野に拘る話でもない。伝染病のシミュレーションタイトルもあれば、PCをビルドしたり、車を洗浄したり、実際教育現場で活用できるような実利的なものもある〈もちろん広く取れば、これまた低俗なことだが,,,”盗人をシミュレートする”ものまである〉。ゲームその分野が細分化し多発化した結果、政治の・政治以外の分野においても、”現実の投影”=シミュレーションという問題につながりコネクトしたのだ。これがゲーミフィケーションの幕開けである。

ツールとシミュレーションは常に性善説の元にあるわけではない

もちろん、シミュレーションが我々の世を健全にするため良い方法で使われることが望ましいが、我々の生きている社会はそれすべてが性善説に基いて出来ているわけではない。むしろ諸悪はこの言葉が示す通り、どこにでも存在する。かつてクレジットカードが悪用されるとは誰もが知る由もなかった〈”それ”は一部の賢いひとによって悪用が当初から懸念されていた〉。いつでもどこでも”お買い物”を便利にできる魔法の道具と思った方も多いだろう。だがその実、”デジタル化”という内実において、諸悪は、性善の精神とともにどこにでも存在し、当然、現在進行形でも存在する。理由は簡単だ。技術は進化しても、人間の精神性が進化したとは限らないからだ。だからこそ、クレジットカードを使った不正利用という悪行もまかり通るようになった。

ゲームツール的シミュレーションがもたらした一定程度の結論:不可逆性と不確実性

このように、技術は人間自体を一見進歩させ、その中身までをも純に透明化したかのように見えさせた。だが、そのツール化によって人間の生活は利便化されたように思える一方で、悪用という手法にも最大限の懸念を示す必要性が実際問題出てきてしまったわけだ。無論、ゲームも、ゲーミフィケーションという活用性を持つツールである。だが、ツールによるシミュレーションと我々の精神性はもう切っても切り離せない。飛び立ったシャトルを、時間を巻き戻して、再び発射台へ元通りにする術を、我ら人間は未だに知らないからだ。ゲーム的シミュレーションの中で時間は巻き戻せても、それは現実の時間を巻き戻すことと同等ではない。あくまでシミュレーションはシミュレーションであり、現実の忠実かつ正確無比な予測にもならない。これが不可逆性と不確実性である。