昔、「妖精現実」っていうサイトがあって(今もあるけど)、そこでファンサブの文化としての側面を論じたもの「ファンサブは死にゆくのか?」という記事があった(ミラーサイト:http://deztec.jp/x/05/faireal/16-index.html)。ファンサブっつのは、アニメの字幕を翻訳したものを海賊版に載っけてようつべとかに投稿してたもんが起源なんだが(ちょー簡単に言えば)、それに対してファンダブってのもあって、これは英語圏の人がそれらの翻訳字幕を元に演技して載っけたやつ(これまたちょー簡単に言えば)。後者は例の「Clannadの英語教材(笑)」で一時ニコニコ界隈で有名になったよなw
高度なファンサブはインタフェース系にも影響して(⇑詳しくは妖精現実のミラー記事を見てね!)、それらの翻訳文化は工夫があれば死なないというジャンル規定がこの記事では為されていた。言語の壁を超えた字幕や吹替っつのはバベルの塔から問題が始まって現代に通じるブツである。これだけでも技術史として見ておもろいんだが(神話の中だけじゃなくてWikipediaはその歴史に詳しい)、妖精現実の記事「ファンサブは死にゆくのか?」という記事では筆者の”どうにかしてファンサブ文化を生き残らせることができないか?”という観点で主張が進んでた。
ここで筆者が提起していることで一番重要なのは、ファンサブの字幕部分だけをオープンソースにするってことだ。その後ライセンサーの許可を後々にとって草の根のコミュニティーの中でこのファンサブ文化を残す…そういう建設的な意見だが、これははっきりいって無理なことだろう。記事の書かれた年代が2000年代なのは納得のいくことだが、時代がこの問題を解決してしまったんだ。まず、理由は複雑だが(ファンサブのシステム自体が非常に複雑な権利構造にぶつかるため)、一概には(具体的な事例を上げてみれば…)こう言えるだろう。
・今や動画の定額配信サービスがネトフリ/アマプラをはじめとして攻勢でしかも主流である.
・もちろんその配信サービスは、以下の引用画像で示せるようにサブ文化に公式対応している.
※画像:「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」第10話(Netflix)より引用.
いわば、”正当なファンサブ”とでも言うべき事例。
訳:『あなたの選ぶ人であればなんにせよその人は素晴らしい人だろう…』
・シットコムでもほぼ同じ構造が形成されていて、むしろ俺らに英語圏コンテンツが逆輸入されたものもある.
・ネトフリ配信番組でこのように日本の声優が演じるものまである(サブどころかダブの逆輸入).
※画像:「アレクサ&ケイティ」 シーズン1 エピソード1(Netflix)より引用.
つまり…
・財還元的にライセンサーに利益をもたらすことで持続的なビジネスモデルが既に構築されている.
・彼らに本来ファンサブが持ち得ていた業務を職務として割り当てたりAIに当てがしたりすればいい.
・見てお分かりの通り、「ファンサブの商用版ロールモデル」の完成という現状があるわけ.
現実問題としてファンサブは死ななかった。Netflix(とか)がそれをごく自然と蘇らした。
今、バベルの塔における神への冒涜は現代的な工夫とファンの熱意と力量、
加えて技術とビジネスの力によって償われたわけだ。