あなたが「オクトパストラベラーⅡ」をフルプライスで買うべき、本作を傑作にせしめたる、たった二つの理由 | ページ 2 | ゲヲログ2.0

あなたが「オクトパストラベラーⅡ」をフルプライスで買うべき、本作を傑作にせしめたる、たった二つの理由



ストーリー評

これね、陳腐じゃないんですよ。もののけとか戦国ものに影響はあるんだと思うよ。オーシュットとヒカリの幕を飛ばし飛ばし見ていったけど、凄まじく重厚感があって、ドット絵ピクセルで描かれてることもあってか、想像力のバイアスが半端ない影響力保ってんだよね。例えば、オーシュットのストーリーってもののけに似てると思うんだ。でもパクリじゃないんだ。ゲームだからこそできるヴィジュアル表現ってのあるじゃん?そこ全部抑えちゃってんのよ。

観念論の具現化というコンセプト

例えば、オーシュットのストーリーでは故郷の危機を救うために様々なところを巡っていくっていうマンマもののけの筋に似てるんだけど、獣人とか人間との対立とか、多様なテーマがこのゲームの上に歴然と乗っかっちゃってんのよ。いわば、群像劇なんだよ。それも生まれたての古典的な群像劇。んですべてのストーリーが収束していって…っていう話の筋って王道だけど、それでいて陳腐ではない。やってて感じ取れる具現的なストーリーがあって、ある種「オクトパストラベラー」の世界の観念がガジェット化しちゃってんのよ。FFとかドラクエというようなRPGが生きてた頃のIPの正統な続編といっても過言じゃない。

登場キャラ・オーシュット及びヒカリの事例にみる

例えば、ヒカリ編見てくださいよ。闘技場とか、モチーフは確かにFFにもあったやん?確かに。でも演出・間の存在・ひとりひとりがテーゼに沿って、具現的に動いていって、そこには確固たるドラマがあるわけよ。オーシュットは故郷を守るため自らの純粋な性格に賭けるものがあるし、ヒカリは国を正常に動かすため自らの剣の腕に賭けるものがある…こういうように具現的に描かれるストーリーの側面が多く垣間見え、それが物語の中軸に浸食する様子が描かれる。だから見ていて、ひとつの小説を読んでいるようにゲームに没頭しちゃうんだ。

秋山瑞人あるいはナウシカ的群像劇

これ(この構想図)は思えば、天才・秋山瑞人の作品に似ていると思う(わかる人はわかってくれるだろうと思って書いてるが伝わるかどうか…)。秋山作品ぶっちゃけ群像劇じゃね?アレなんだよ、まさに。物語が幾多もの人間の側面で描かれ、多面的に物語を地の文で追って行けて、最終的には全部が絡まって収束していき、一番盛り上がる点が自然に構成されている…そういう天才的な話の構成の仕方なのよ。誰が原案描いたんだっていうぐらい凄みのある出来なのよ。漫画版ナウシカみたいに完成度が極めて高いし、メッセージの多様性で言えば、ナウシカを超えていくものすら、まざまざと感じさせる。

物語の行く先にある説得力

小説読んでて、それでいてひとつの傑作絵画も見せられているような、ゲームでしかできん演出っていうのが昔のスクエニのRPGあったじゃない?まさにアレが出来てんのよ。そういう意味で「オクトパストラベラーⅡ」のプロット描いたやつは天才すぎ。まるでADVタイトルの傑作を見せられているようなテーマ性がある。それもかなり人間味があって、深いです。共感できるポイントも極めて多い。辺鄙なとこにある辺鄙な作品に留まるべきものじゃない。それぐらい説得力がある。

ぶっ飛んだ設定のRPGへのアンチテーゼ

この手のRPG作品は、設定がぶっ飛んでて、統一感がなくて、単なるロマンス中心の陳腐な作品に陥っているっていうものも多い(ぶっちゃけ批判を承知で言うけどリノアさんとの恋愛を楽しんでる暇はないっす)。「オクトパストラベラーⅡ」はそう陳腐やない。ドット絵を基盤にして、表現される、統一感のあるひとつの芸術なんだわ。多面的・ゲルニカ的な、それでいて、一つの一貫したテーマがある芸術なんだわ。いわばこれは、かの漫画JOJOで実践されたことともいえる。『生命賛歌・謳歌』『芸術的』『感動的』これに尽きる。他のメディアと比較して言うことが多くて恐縮だけど、これしかないっていう比較・対比の制作術がゲーム内で実践出来ているのよ。

ストーリーのオリジナリティはどこへ行くか?

いわばゲームのリソースってもう出尽くしちゃったじゃない?だからもう新しいジャンルのゲームってなかなか作れない。だからこそ、あたしのこの文章も微妙に比較論に陥っちゃっているとは思うんだ。でも、比較していてもわかるが、オリジナリティの追及ができている。いわば、ゲーム「オクトパストラベラーⅡ」は『元来模倣的でいて、模倣では済まなく、本来模倣的でもない作品』ともいえるんだろうね。