「持続可能な開発(SD)」はホンマに可能なのか? | ゲヲログ2.0

「持続可能な開発(SD)」はホンマに可能なのか?



EVは世間一般ではあたかも環境問題の解決策、というように思われている。仮にEVが実用化され、かなり普及したとする。まず問題とされるのは、EVの電力源の問題だろう。EVの電力源が火力のままでも環境にとってはいままでよりも良いとする算出もあるが、トヨタの社長はカーボンニュートラルを実現するには原発が10器必要だ、と述べている(火力に換算すると20器必要だという)。火力発電でカーボンニュートラルを実現するのはかなり難しい(もっとも火力発電のエロエミッション化も進んでいるが)。このように、様々な技術革新がある、ということは理解できるし、いくつもの課題を克服するべくして多くの人が頑張ってくれてる。多くの派生した課題ある道に様々な解決策を提示・実現しなければならない、と言う意味で豊田社長は妥当なことを言っているように思う。そもそもEVの中核を為す磁性体モータにも希少金属(レアメタル)が使われている。このようにEV化はその電力源の問題・資源問題も含め、課題山積なわけである。本当に持続可能な開発が可能かどうか?という問題はかなりムズカシイ交絡している問題である。

むかしむかし、ある科学者が人類の経済活動をひとつの『ろうそくの火』に例えたという。ろうそくに火を灯すとどうなるか?いずれろうがなくなり火も消えるのは誰の目にも明らかで当然のことだ。我々ができること・やっていること、というのは、ろうそくのろうの減り方をこれまでのやりかたによるものよりも遅くする方法の発明だ。ろうはいずれなくなるが、そのろうの減り具合を極限まで0に近づけることはできる。我々はそれをやっているわけだ。果たしてろうの減りを0にすることができるのだろうか?もし可能ならば、人類は資源問題に困ることがなくなることを意味する。だが、0にできなかったら…我々の永続的な未来はまさしくない。それはろうが切れたとき人類が滅びる、ということだ。

このたとえ話は回路図の特定の事例にかなり似ている。ちょっとでも電子回路の勉強をしたかたであればわかるだろうが、特定のインピーダンスを用いれば、電力は増幅できる。だが、電力を増幅する、ということは元ある電力自体を増幅するということではない。つまりインピーダンス回路をいくつも繋げても消費電力が上がるだけで、消費電力の根源自体を増幅させているわけではない。もっとわかりやすく言うと、これは蛇口から出る水と同じである。じゃぐちを多くひねればより多くの水が出る。それを飲むこともできる。だが、蛇口の栓を多くひねれば、消費水量が増えるだけで、そこに繋がれたタンクの水の減り方自体をコントロールしているわけではないのだ。じゃぐちを多くひねればひねるほど、当然タンクの中の水はより多く減っていくのだ。

ありていな言い方だが、人類が・個人個人ができることっつのは日ごろの生活に気を付け、環境を大事にすることを心がけ・自らの力をおごらないことに他ならない。やはり『ろうそくの火』はいつか消える運命にある。だが、その消える瞬間を遅らせることはできる。例えば、モータの効率が数%~数十%上がれば、原発数器分のロスをカバーリングできると言われる。工夫することでなにかがうまれるわけだ。

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