最近、Steamでもゲームレビューの欄を見ていると、『最適化』というシステム合理化のための表現をよく見ることが多い。この言葉は、いわずもがな、ゲームというシステム系に対して、最適な攻略手法があることを実感させるその構成と解釈のことを言っているんだろう。
例えば、「XCOM」なんかはターンベースで進む最適な確率解を求めるシミュレーションゲームだし、「Frostpunk」などもサバイバルシステムの中で最適な選択を施すシミュレーションゲームである。『最適化』という言葉とシミュレーションゲームというゲームジャンルは重層的に重なっていて、深く関係性を持つ。そりゃなぜか?というとシミュレーションという、現実性の追求を立脚させるためのゲームジャンルでは、”最も効率の良い最適なプレイ”が求められるからだ。いわば、シミュレーションゲーム、というジャンルは定期テストで言うと、完全択一式のテストなわけであって、もともと適切な回答が決まっている。そして、それは、記述式のテストのようなものでは“ない”。
奇妙にもルールベースのゲームってのはこうしたジレンマに陥りやすい。選択にアクション要素がなく、十分考える時間がある。ルールも決まっていて、こうしたらある程度こうなるな,,,という予測がつく。これは一見、確実的な長所に見えるかもしれない。だが、それは基本的に現代のエンターテインメントの世では短所である。本来、ゲーム、というものは不特定の分野に様々な試みを為し、その反応を見定めるカジノ性があることが特徴のエンターテインメントである。本来のゲームの性質に、現代におけるシミュレーションゲームというジャンルはあまり適した形をとっていない。つまりは、ゲーム、という遊戯は、見えない未来をいくつかの選択肢を辿っていくそのワクワク感をもとめ追及されるシミュレーショティブなものなのに、反面、純粋な4Xや様々なルールベースシミュレーションゲームは『最適化』されるべくして設定される一手があってしまっているわけだ。これがまさにこのジャンルの“ウィークポイント”なのだ。
だからこそ、だが、シミュレーションゲームってのは今時流行らなくなる可能性が強いとあたしは思ってる。かつて、ADVゲームは「Myst」以降傑作が出てこず、長い冬の時代を迎え、とっくのとうに終わったゲームジャンルだといわれた。だが、その”家族”であるテキストADVは小説のごとく、厳密な一重の可読性を持つから、Steam時代・インディースタジオ時代における逆説の論理でもってして、現代において見事に、類似のゲームジャンルとして復活した。そして、シミュレーション過多ともいえるこの時代において、この『最適化』策がかなり取りやすい点で、むしろ可読性どころかデジャヴだらけのつまらんエンターテインメントになり下がったタイトルが、シミュレーションゲームジャンルでは多くなってきた,,,というのがあたしの実感なんである。
長いこと、シミュレーションゲームというゲームジャンルは最盛期を辿ってきた、実績ある伝統的なゲームジャンルの表現手法だった。だが、今後はシミュレーションゲームと言うジャンル自体がゲームプレイにおけるワクワク感あるカジノ性を追求することなく、『最適化』という”硬直的”な背景を魅せるのに徹してしまう限り、このジャンルの衰退の流れは容易に見て取れると思う。ひょっとすると、ゲームAI時代においては、シミュレーションゲームの一部の作品はもう永久に復権することがないかもしれない。もちろん、シミュゲーが、様々な他のジャンルのメメントを盛り込むことでこうした『最適化』『硬直化』の流れに対抗できる素地もあるはずだ。だが、決定的な一打を撃ち込まれた、一部のシミュレーションゲームはもう息絶えるかもしれないんだ。それは、かつて、テキストADVが、辿ってきた冬の時代を乗り越え、見事に復権したようにはいかないかもしれない。